みやどころはちまんぐう
宮處八幡宮のお参りの記録一覧
【宮處八幡宮に通う⑥御祭神】
百日紅(サルスベリ)が咲いているのに気がつきました✨
御由緒書きの存在にも今日初めて気がつきました😅
後ろに御神馬像
『旧郷社 宮處八幡宮
当社本殿、拝殿・幣殿、境内護国神神社、注連柱、以上四点、平成二十五年十二月二十四日、国登録有形文化財に指定さる。
祭神 品陀和気命
帯中日子命
息長足姫命
由緒 当社は仁徳天皇の御世、中臣宮處氏の祖 中臣連大小橋臣の子、静子臣、応神天皇の御神霊を奉齋して宮所神社と奉称せるに始まる。旧くは当地を美也止古路と云ひ、郷名を宮處と記せしなり。景行天皇の皇子、 神櫛王の住居せられし処と伝ふ。』
『登録有形文化財
第37 03933~0396号
この建造物は貴重な国民的財産です
文化庁』
拝殿・幣殿の大棟の飾り瓦
戦っているのが女性に見えました
御祭神の「気長足姫命」(おきながたらしひめ)は神功皇后のこと
また「息長帯比売命」とも
"たらし"、とは阿波弁で"ふんどし"のことだそうで、海で泳ぐ時、長いふんどしを身に着けていると、大きな生き物がいると思ってサメが襲ってこないのだとか
神功皇后がふんどし姿で遠泳するじゃじゃ馬っぷりが想像されます😆
夫の仲哀天皇は「帯中津日子尊」(たらしなかつひこのみこと)ですから、ご夫婦仲良く泳がれてたのかも🤔
戦う相手は龍神様
龍宮城?
龍神様にも護るものがあります
神功皇后は八幡神として主に祀られる品陀和気命=応神天皇の母上で、妊娠中に三韓征伐に同行し、石でお腹を冷やし出産を遅らせながら戦いに向かったという女傑です
三韓は戦わずして従いましたが、身重の大将に度肝を抜かれたのかもしれませんね〜
御神木?
ヤマモモ(高松市の名木)
このヤマモモのところで綺麗な写真を撮らせていただいています
【宮處八幡宮に通う⑤装飾】
参拝に通うことで神様と仲良くなれると聞きます
歓迎サインを頂いたり、綺麗な写真が撮れると、確かに少しずつ距離が近づいているような感じがして嬉しいものです💖
ヒトもまた神様
人間関係においても、コンタクトを重ねて信頼関係を築くことの大切さを教えて頂いているような気がします😌
今回は建築と装飾について注目してみました
5回目の参拝
狛犬くんが歓迎してくれました💕
拝殿
唐破風造の大振りな向拝
鳳凰と龍
木鼻は象と獅子
蟇股(かえるまた)の龍
眼には石が入っています
マントヒヒみたいな大天狗、烏天狗と、吊り目の女天狗?
女天狗の元祖は天逆毎(あまのざこ)
スサノオが吐き出した猛気が形を成して誕生し、姿は人間に近いものの、顔は獣のようで、高い鼻、長い耳と牙を持っていた
物事が意のままにならないと荒れ狂う性格で、力のある神をも千里の彼方へと投げ飛ばし、鋭い武器でもその牙で噛み壊すほどの荒れようだとされている
また、物事をあべこべにしないと気の済まない性格
独りで孕んだ子どもは天魔雄(あまのさく)といって九天の王となり、荒ぶる神や逆らう神は皆、この魔神に属したという
獅子
鯱鉾
建物が火事になると口から水を吐きだして消してくれるという伝説があり、木造建築の守り神として屋根にのせられている
屋根の妻飾りにも懸魚(げきょ)=🐟魚モチーフが取り入れられている
御本殿
軒唐破風、千鳥唐破風
三つ巴と桐、菊の御神紋
斗栱と肘木、垂木の細密な幾何学芸術
五重塔みたいになっていて豪華です
今日の三柱鳥居
【宮處八幡宮に通う④摂社・末社】
境内には「小子部宿禰(ちいさこべのすくね)命社」、「地神社」等の摂社末社があり、「護国神社」は国登録有形文化財に指定されるほど、御本殿と同じく凝った造りをしています
小子部蜾蠃(すがる)といえば蚕と嬰児を間違えて集めた天皇側近の豪族ですが、
三柱鳥居の御由緒には天之御中主を養蚕の神として祀るなど、こちらは蚕(=秦氏)と縁の深い神社のようです
「護国神社」
国登録有形文化財
御本殿とリンクした美しい造形です
「小子部宿禰命社」
雄略天皇からの命令で「蚕」を集めよと言われたのに間違えて「嬰児」👶を集めてしまった小子部蜾蠃
集めた子ども達を育てることになり、子どもの神様として信仰されるようになったようです
子どもの神様だから鳥居もお宮も低いのですね😊
上から失礼して撮影しました
小子部蜾蠃は他にも生前死後に二度雷神を捕まえた等の話があり、雄略天皇を楽しませた人物だったのでは
こちらは何のお宮かわかりせんでした💦
「護国神社」に比べるとシンプルです
「地神宮」
【宮處八幡宮へ通う③三柱鳥居】
こちらの神社は知人に連れて来られて初めて存在を知りました
こんなところにこんな立派な八幡宮が…!😳と驚きましたが、
こんなところにこんな鳥居が…!!😳😳😳とさらにびっくり
三柱鳥居の存在を知り、神社の世界は奥深いなと思いました
"三鳥居由緒書
祭神木島天照御塊の社創建は推古天皇十ニ年
前獲王神養蚕神社天之御中主神を主とし奉り上は天津神下は地神に渉る学問の神であり祓いの神でもある
尚お他の地京都太秦には呉より漢織呉織を召し諸族と共に数多くの絹綾を勧請したのが此の社である三ッ鳥居
比の糺の池にあり四季湧水する池は身滌の行場
比の神池に手足を浸すと諸病平癒の俗信がある
此の組石は御祭神の神座宇宙の中心であり嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより之糺と云う
以上此の地に御郷還奉る
太秦の薬師の許へ行く麿をしきりに止むる木島の神 昭和五十四年八月 吉日"
京都市右京区太秦に鎮座する木島木島坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社、通称・蚕の社(やしろ)の元糺(もとあやす)の池に鎮座する三柱鳥居を模したもののようです
最後の俳句は、境内の東側に句碑があることから、地元の俳人香西照雄さんのものと思われます
中村草田男さんらと活躍された方だそうです😳
鳥居の柱が3本あり、三角柱になっています
下は三角形の枯山水の池になっており、御幣が捧げられています
鳥居の柱に"元糺ヶ森蚕之杜木嶋坐神仙"
手前に上面が真っ平らな岩があり、座るのにいいな✨と思いましたが失礼があってもいけないので立って瞑想いたしました
瞑想後、御由緒書きの竹の支柱に緑のアマガエルくんが登場🐸
願いが叶う、前進せよのサインいただきました😊✨
今日も爽やかな風が吹いていました
【宮處八幡宮に通う①】
このような歴史ある立派な八幡宮が比較的ご近所にあることを半世紀近く知らず暮らしてきたことにびっくりです
それくらいご立派なお宮です✨
社殿の大きさ、宮大工の技に見惚れる装飾🐉
本殿、拝殿・幣殿、境内護国神社、注連柱は国登録有形文化財に指定されているそうです
周辺地域には古墳があり、このお宮も古墳時代に始まり、神櫛王(景行天皇皇子、古代讃岐のヒーロー)とも関係があるようです
前田山の西の方に御座います
一ノ鳥居からの長い長い参道
立派な石燈籠が迎えてくれます
二ノ鳥居
三ノ鳥居
左側奥の段状石垣は観覧場だそう
注連柱がたくさんあり、味のある文字が刻まれています
階段を登り振り返った景色
拝殿
広い境内
拝殿と御本殿
左側に参拝の目的、三柱鳥居が御座います
五重塔みたいな立派な造りにびっくりです😳
地域豪族の権力の大きさですね
【宮處八幡宮に通う②歴史】
⛩️「宮處八幡宮」は、仁徳天皇の時代に中臣宮處(なかとみのみやどころ)氏の祖・中臣連大小臣命の子 ”静子臣” が、応神天皇の神霊を祀ったことに始まるそうです
奈良時代、中臣宮處連(むらじ) 東人(あずまびと)は"長屋王の変"の時、密告して貢献したとして財を得ます
しかし藤原氏による陰謀だったことがわかり、中臣宮處連東人は嘘の密告をしたとして斬殺されたそうです…
御由緒
仁徳天皇の御世、中臣宮處氏の祖、中臣連大小橋臣の子、静子臣、応紳天皇の御神霊を奉斎して宮所神社と奉称せるに始まる
旧くは当地を美也止古路と云い、郷名を宮虚と記せしなり。景光天皇の皇子、神櫛王の居住せられし処という。
観光地かと思うくらい立派な御本殿
密告の褒賞で築いた財で平安時代に立派な社殿を建立したのでしょうか
手水舎
手水鉢の四隅を石像が支えるタイプなのですが
正座?でこの表情
歴史を知ると、罪の重さに苦しんでいるように思えてしまいます🙂💦
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