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2023年06月11日(日) 00時32分 byあち
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日本武尊が東征の折の足跡の最北端であり、最終地点が尾崎半島であり、その足跡の標として半島の中程に剣を建ておかれたものを、土地の人々が敬い祀った事が当社の起こりであり、祭神は日本武尊であるとされる。 後に源為朝(鎮西八郎)の三男とされる閉伊頼基が閉伊郡の押領使を任ぜられてより、当社への尊崇の念厚く、1220年(承久2年)の逝去の間際、「我東海の守護神とならむ、亡骸は尾崎の宝剣の傍らに葬れ」との遺言により、時の別当である天授院賢海が、その亡骸を宝剣の傍に葬ったとされ、以来日本武尊と共に頼基も祭神として合祀されている。 宝剣の場所を奥の院、青出し浜の社を奥宮、尾崎白浜の社を本宮に、釜石の社を里宮とし、1719年(享保4年)宗源宣旨を以て大明神号を1799年(寛政11年)朝廷より正一位の位記を賜り、「正一位尾崎大明神」として今日に至っている。
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https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E9%87%9C%E7%9F%B3%E5%B8%82%29&oldid=91517662
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