すくなひこかみかたいしじんじゃ
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宿那彦神像石神社ではいただけません
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宿那彦神像石神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年09月20日(水)
参拝:2023年9月吉日
能登国能登郡の式内論社です。神代にて大己貴命さまと少彦名命さまが能登半島にて国土開拓を行い、その成功を讃えて分霊を石に鎮めたとされます。その霊石を崇神天皇の御代に現在地へ奉納し創建されました。
明治になって気多大社の境外摂社となっていた経緯から、現在も平国祭で当地まで神輿が巡行し、一泊していきます。
明治になって気多大社の境外摂社となっていた経緯から、現在も平国祭で当地まで神輿が巡行し、一泊していきます。
《鳥居と社号碑》
摂社だったためか社格は書かれていませんね。
摂社だったためか社格は書かれていませんね。
《由緒書き》
越前国の大虫神社や、越後国の奴奈川神社にも大己貴命さまと少彦名命さまの伝説が残っていることから、2柱は国土開拓を行いながら日本海側を北上していったようですね。
越前国の大虫神社や、越後国の奴奈川神社にも大己貴命さまと少彦名命さまの伝説が残っていることから、2柱は国土開拓を行いながら日本海側を北上していったようですね。
《集会所》
《貯水槽》
《表参道》
《倉庫?》
《手水舎》
水は枯れており、苔むしています。
水は枯れており、苔むしています。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
気多大社の平国祭では神輿が羽咋からここまで神幸して一泊し、同じく神輿に乗せて気多本宮に向かい祭典を行うという、かつての神社同士の関係性を現在まで色濃く残しています。また崇神天皇さまの御代に創建されたというのが、気多大社が気多本宮の地から遷座した時期と一致しており、遷座しても神社同士の関係性は切れなかったことがわかります。
👁チェックポイント‼️
気多大社の平国祭では神輿が羽咋からここまで神幸して一泊し、同じく神輿に乗せて気多本宮に向かい祭典を行うという、かつての神社同士の関係性を現在まで色濃く残しています。また崇神天皇さまの御代に創建されたというのが、気多大社が気多本宮の地から遷座した時期と一致しており、遷座しても神社同士の関係性は切れなかったことがわかります。
《拝殿裏手》
《本殿》
ちなみに七尾市にも同名社が存在します。
ちなみに七尾市にも同名社が存在します。
すてき
投稿者のプロフィール
神祇伯1464投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(11/3更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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