すくなひこかみかたいしじんじゃ
宿那彦神像石神社石川県 七尾駅
参拝自由
御朱印 | - | ||
---|---|---|---|
駐車場 | なし |
能登国能登郡の式内論社です。大己貴命さまと別れて能登半島へやってきた少彦名命さまが、黒崎の東浜から上陸し、その地に住んでいた阿良加志比古神さまと協力し、その地域で悪さをする熊、虫、鳥を調伏し平定したと伝わります。その後少彦名命さまは断崖上の巨石を御神体として鎮まったそうです。
《鳥居と社号碑》
少彦名命さまの神名でも当社の「宿那」は結構珍しい例であると思われます。
《表参道》
黒崎町が崖沿いであり、鎮座地も少し高台になってます。
《拝殿》
森の中のこじんまり…ではなくしっかりとした面構え?風格を持った神社です。というかそんな感じに撮れました。
《灯籠》
一部壊れてます。
《変な形の岩》
1mくらいの岩が拝殿の横にあります。岩の中央には奉納と書かれているので、像石の社名にあやかってお供えされたと思われます。
《拝殿内部》🙏
現在も阿良加志比古神社さんが兼務しているようです。
ちなみに同じく論社として挙げられる中能登町金丸の同名社はかつて気多大社の摂社であり、現在も神輿が渡御するなど大己貴命さまと別れた伝承を持たない形式になります。
また少彦名命さまが国土を平定したのは共通していますが、協力した方が多気倉長命さまと違っています。
《本殿》
覆屋の中のようです。
《小屋?》
《御神木?》
大きく広々とした木が生えてます。
《末社と忠魂碑》
入口にあるのでひとまずこれを探せばお参りできます。
《御神石》
👁チェックポイント‼️
実は当社の鎮座地と石川県神社庁に登録されているものと住所が違っています。神社庁記載の住所の方にはこちらの御神石がブロック塀に囲まれて鎮まっています。というのも本来の伝承地、鎮座地はこちらのようで、社殿のある方は諏訪神社があり昭和期に遷座したようです。目の前に道路があることから区画整理にあったと思われます。
名称 | 宿那彦神像石神社 |
---|---|
読み方 | すくなひこかみかたいしじんじゃ |
通称 | 薬湯の神 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
電話番号 | 0767-59-1735(阿良加志比古神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 少名彦命 建御名方命 |
---|---|
ご神体 | 御神石 |
創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
ご由緒 | 勧請暦不詳なるも、延寳五年神主家明細お届書に據れば、天平宝字八年勅使藤原永平、口能登大呑熊郡別山東(ワカヤマサキ)邑に熊武都(クマブツ)の長者(タケヲ)と諱(イミナ)賜比祀らる。大呑熊六合郷里大(ト)宮にと玖郎前関(クラウサキセキ)に坐す貞宿那彦神像石社とに神鏡弐面を賜り再興会宣旨を給うと所載されている。延長弐年、藤原忠平撰集「延喜式巻第十」府能登郡17座末行阿良加志比古神ノ社末筆貞宿那彦神像石社登録す第百弐拾弐代明治天皇拾四年辛巳(カノトミ)歳遷暦「大解除式(オホハラヘのノリ)」第弐拾回解齋とあるを逆算すれば初回は聖武帝神亀天平拾参年辛巳(カノトミ)歳「蔵闢良岐(クラビラキ)」されたこととなる。亦、奈良正倉院の御物、丹物の調庸銘が当大宮の鎮座地名に合致。萬葉集の國守、家持卿の出擧の歌3881珠洲能宇美(スヅノウミ)に朝闢(アサビ)らきして榜(コ)ぎ来れ波奈我濱の浦に月照りに家里右、治布に遷(カヘ)る時、之を作る。註に、治布は大沼郡(オホヌミヤコホリ)(元の郡名)今、大呑熊郡別山東邑(ワケヤマサキムラ)宇治布夫(ジブデ)の地名、其れならむ。 神護院霊夢山眞吾布陀樂寺別当舎跡地波治布大門なり。 |
体験 | 伝説 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
11
0