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あめひかげひめじんじゃ

天日陰比咩神社の御由緒・歴史
石川県 能登二宮駅

ご祭神天日陰比咩大神、屋船久久能智命
ご由緒

当社は、人皇10代崇神天皇の御宇御鎮座であり、2,000年以上の歴史を持つ延喜式内社であります。
また、往古より菊の御紋を装飾した上日庄(あさひのしょう)、郷18ヵ村の總社氏神でありました。
建長4年4月に能登の国二ノ宮と指定され、広く各地より崇敬された御社であり、文徳天皇より後円融天皇まで9度にわたって神位を受けています。
社殿後山の大御前峰社は以前、天日陰比咩(あめひかげひめ)大神をまつり、又羽咋郡市及び七尾鹿島郡市の雨乞所でありました。中腹の中御前社は崇神天皇の御廟跡及び印色之入日子命の御陵墓であったと伝へられております。また、社殿右後ろ奥の山には、船木社が御鎮座しており、御祭神として神八井耳命が祀られていたと伝えられています。
辛酉61年目毎に3日間にわたり、例大祭として羽咋・七尾鹿島両郡の諸難退散祈願祭を斎行しており、近郷より山車や獅子舞等の奉納があり、老若男女多数の参詣で賑わい、盛儀を極め現在に至っております。
往古は、この神社境内地に天日陰比咩神社と伊須流支比古神社の2社が御鎮座されていた故に、集落名を二宮と云い、神社名も二宮神社・二宮大明神と呼ばれていました。
社殿向かって右の奥の山である「石動山」は、往古「枝摺樹山(えするぎざん)」と呼ばれ、老木大木折り重なり山鬼・天狗等の怪しき物をはじめ、蝮・狼・狐・狸等も住む山と恐れられておりましたが、泰澄大師が開山にあたり、それを鎮める為に養老年間、二宮の神社境内に御鎮座されていた2社のうちの1社、伊須流支比古神社より、現在の石動山上に御分霊を勧請されたものです。
現在は、総ての御祭神を天日陰比咩神社御本殿内にてお祀りしており、日々の御日供をはじめ、年間恒例祭典を恙なく執り行っております。
当社では、古くより酒造の祖神と云われる大三輪神が祀られ、どぶろく造りが伝承されてきており、戦前までは、能登各地より多数の杜氏の参詣があり、その杜氏達は、酒造りの御利益を頂くために境内の杉の枝を持ち帰ったとの記録が残っています。

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