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楢本神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年12月13日(金)
参拝:2019年5月吉日
延喜式内社(加賀國石川郡/楢本神社)です。
境内の説明看板によれば、口承では、往古御膳氏の遠祖屋主思命の孫が、市入命国造としてこの地に居住して奉祀したとされ、後鳥羽天皇の時代の寿永二年(グレゴリオ暦1183年2月2日~1184年2月21日の年)に手取川の大洪水により社殿が流出し、現在地に遷されたということです。
近隣の白山市宮丸に鎮座される楢本神社境内の説明看板によると、近隣には三社の楢本神社があり、近くの手取川の度重なる氾濫により遷座・分祀を繰り返し、三社になったとのことです。
また同じく近隣に鎮座される白山市下柏野の楢本神社の境内には十一面観世音堂があり、養老二年(718年)に泰澄大師が巡られたおりに、青蓮寺に従一面観世音を納めたと伝えられ、明治の神仏分離の際に楢本神社に預けられたものであるとのことです。
民俗学者の畑中章宏氏によれば、全国各地の海・川・湖・沼の畔に水神として十一面観音が祀られていることが多くあり、その村の人々が水害の記憶を留めるためのものであったのではないかとの見解を示しておられます。
感謝です!!拝。
境内の説明看板によれば、口承では、往古御膳氏の遠祖屋主思命の孫が、市入命国造としてこの地に居住して奉祀したとされ、後鳥羽天皇の時代の寿永二年(グレゴリオ暦1183年2月2日~1184年2月21日の年)に手取川の大洪水により社殿が流出し、現在地に遷されたということです。
近隣の白山市宮丸に鎮座される楢本神社境内の説明看板によると、近隣には三社の楢本神社があり、近くの手取川の度重なる氾濫により遷座・分祀を繰り返し、三社になったとのことです。
また同じく近隣に鎮座される白山市下柏野の楢本神社の境内には十一面観世音堂があり、養老二年(718年)に泰澄大師が巡られたおりに、青蓮寺に従一面観世音を納めたと伝えられ、明治の神仏分離の際に楢本神社に預けられたものであるとのことです。
民俗学者の畑中章宏氏によれば、全国各地の海・川・湖・沼の畔に水神として十一面観音が祀られていることが多くあり、その村の人々が水害の記憶を留めるためのものであったのではないかとの見解を示しておられます。
感謝です!!拝。
すてき
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裕遊抄uusho1355投稿
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