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2025年09月25日(木) 14時57分 by大野湊神社

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ご由緒
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大野湊神社は、神亀4年(727)陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に存していた神明社の傍らに一祠を建立し勧請したことをその創祀としている延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。
この神明社、即ち天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を奉斎した社の創立年代は不詳ですが、おそらく飛鳥朝時代であると考えられています。
この猿田彦大神を合祀してより、天平元年(729)には天に達し「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を賜りました。
しかし建長4年(1252)社殿が炎上したため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました。
歴代朝廷の崇敬篤く度々の造営神宝の御奉納、勅使参向もあり、武将国司の神器社領の寄進がありましたが、一向一揆の乱により社殿の荒廃甚だしかったとされています。
天正14年(1586)加賀藩主前田利家公が任国の際、社殿を再興し、社領を寄進されました。
以降加賀藩主前田家の崇敬篤く、大野庄(現在の金沢駅西地区)の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けております。
明治5年郷社、同18年県社に昇格、同34年壱千弐百年祭が斎行されました。昭和25年壱千弐百五拾年祭、同41年神社本庁別表神社に加列されました。
平成12年には壱千参百年祭を斎行し、現在でも海と湊の安全を守護し、交通安全、厄除け等に御神徳の高い大神様として篤い信仰を集めています。
編集後
大野湊神社は、神亀4年(727)陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に存していた神明社のそばに一社を建立し勧請したことをその創祀としている延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。
この神明社、即ち天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を奉斎した社の創立年代は不詳ですが、おそらく飛鳥朝時代であると考えられています。
この猿田彦大神を合祀してより、天平元年(729)には天に達し「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を賜り、社名が「大野湊神社」となりました。
しかし建長4年(1252)社殿が炎上したため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました。
歴代朝廷の崇敬篤く度々の造営神宝の御奉納、勅使参向もあり、武将国司の神器社領の寄進がありましたが、一向一揆の乱により社殿の荒廃甚だしかったとされています。
天正14年(1586)加賀藩主前田利家公が任国の際、社殿を再興し、社領を寄進されました。
以降加賀藩主前田家の崇敬篤く、大野庄(現在の金沢駅西地区)の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けております。
明治5年郷社、同18年県社に昇格、同34年壱千弐百年祭が斎行されました。昭和25年壱千弐百五拾年祭、同41年神社本庁別表神社に加列されました。
平成12年には壱千参百年祭を斎行し、現在でも海と湊の安全を守護し、交通安全、厄除け等に御神徳の高い大神様として篤い信仰を集めています。
メールアドレス
編集後
info@oonominato.or.jp
ご祭神/ご本尊
編集前
《主祭神》
離宮八幡宮:護国八幡大神
神明社:天照坐皇大御神
佐那武社:猿田彦大神

《配祀神》
鎮魂八神
瀬織津姫神
編集後
《主祭神》
護国八幡社:護国八幡大神
神明社:天照坐皇大御神
佐那武社:猿田彦大神(佐那武大神)

《配祀神》
鎮魂八神
瀬織津姫神
創立
編集前
神明社:飛鳥朝時代 佐那武社:神亀四年(727年) 
編集後
神亀四年(727年) 
中興の祖
Restored time
社格
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別表神社、延喜式内社、旧県社
行事
編集後
1月1日 歳旦祭
1月26日 鎮火祭
2月11日 紀元節祭
3月1日 祈年祭
5月15日 例祭、神事能(市無形民俗文化財)
8月第一日曜日を最終日とする金土日 夏季大祭(市無形民俗文化財)
11月30日 新嘗祭
12月31日 年越大祓
文化財
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神事能(市無形民俗文化財)
編集後
御本殿三棟(県指定文化財)
神事能(市無形民俗文化財)
夏季大祭(市無形民俗文化財)
歴史資料約1700点、旧拝殿、狛犬等(市有形文化財)
社叢(天然記念物)