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養智院の日常(17回目)石川県野町駅

本尊地蔵菩薩御開帳④

投稿日:2023年06月18日(日)
5月3日、4日の本尊地蔵菩薩御開帳に合わせて、境内を解放し、散策頂けるようにしました。境内には養智院ゆかりの俳人4名の句碑があります。各務支考については、以前の除幕式にてご紹介しましたので、今回は残りの3名をご紹介します。
元徹は江戸時代元禄頃の住職で、俳号を素然といいました。元禄17年(1704)には支考と共に養智院地蔵菩薩の御霊夢俳諧を興行しました。養智院墓地にはその墓石と共に、昭和47年11月、俳句結社「あらうみ」主宰の杉原竹女(1900-1978)の揮毫により建立された「水仙や 時にしらけて 涅槃経」の句碑があります。
凡兆は元徹同様に江戸時代に活躍した俳人です。金沢の出身で、養智院には凡兆の甥にあたる元徹が供養のために建てたという言い伝えがある墓があります。元禄4年(1691)に芭蕉が監修し、去来と凡兆が編集にあたった『猿簑』が刊行され、その名を世に知らしめることとなりました。昭和58年5月には、『猿簑』に収録された「上ゆくと 下来る雲や 秋の天」のが太田育子の揮毫により認められた句碑が、本堂前に建立されました。
太田育子は石川県河北郡出身、昭和を中心に活躍した俳人で、高浜虚子の息子の年尾にしました。昭和41年に「ホトトギス」同人、昭和48年には「あらうみ」選者となります。養智院41世徳芳師が師事した縁から、養智院にもしばしば訪れています。没年の翌年平成3年には有志により、『育子抄』に収録された「還りなむ 雪のふるさと 遠けれと」の句碑が建立されました。
養智院(石川県)
墓地に立ち並ぶ素然(元徹)句碑(向かって左)と太田育子句碑(向かって右)
養智院(石川県)
本堂前の凡兆句碑

すてき

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