つばきはらてんまんぐう
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楽しみ方椿原天満宮のお参りの記録一覧

石段周りが相当被害が大きいようです。金沢五社の筆頭格とも云われている古社ですが、能登半島地震の傷跡が痛々しく復興を願うばかりです。一向一揆の際には出城の役割を果たした椿原山砦、徳川の世になりその地に遷座してきたこちらの神社は、一向一揆の中心地であった尾山御坊の跡に築城された金沢城の鎮護の役割を果たすとはなんと因果なことか。金沢市街や金沢城を見下ろせるロケーションで且つ歴史的背景も興味をそそる神社でしたが、あいにくの天気と地震の傷跡で単純には楽しむことは出来ませんでした。

社号標

一の鳥居 この先の石段は通行禁止

手水舎

明和五年(1768)奉納の手水盤


石段

石段 心なしか歪んでいるように見えました

崩壊した吽形の狛犬

安政六年(1859)奉納の逆さ狛犬

燈籠

燈籠

由緒書

慶応四年(1868)奉納の燈籠


狼煙の松 椿原山砦時代、一向一揆の本拠地尾山御坊(現在の金沢城)に狼煙を挙げた場所とされる。石段からは金沢城の石川門が見える、はずだったがあいにくの天気で見えづ。晴れていたとしても私の目では見えなかったかもしれません


燈籠

平成八年(1996)寄進の菅原道真公石像


拝殿

扁額

椿原山砦跡 一向一揆の大将洲崎兵庫が陣屋を置いていた椿原山砦

鬱蒼とした木々で本殿はよく見えません


がっぱの神様 奥に文政十年(1827)奉納の燈籠 がっぱとは方言で子供の頭にできる湿疹のことである。がっぱができるとと親は子供を連れてお参りし、早く治るようにと祈ったという。


椿魂碑 ここは椿が多く地名の由来となったのだが、現在はあまり見かけなくなったようです

境内社鳥居


眷属の狐


境内社 稲荷神社
幼稚園の頃、田井町に住んでいて、通学路だったので毎日のように寄っていた懐かしい神社。金沢市街からちょっと離れているので、ごく普通の神社だと思っていましたが、加賀前田家が金沢城の鎮守とした、金沢五社の筆頭格だったとは! 周囲の天神町の街並みは、今も昔ながらの街道筋という風情があって素敵です。
『永仁5年(1297年)、加賀国主だった富樫義親が、京都の北野天満宮より丹波屋敷と称する山崎に勧請。観応年間(1350年-1352年)の一向一揆により、金浦郷田井村へ遷座、金浦郷の総鎮守産土神となる。田井天満宮と称す。』とのことです。
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