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【地元参拝】
常陸太田市で行われた文化財公開の集中曝涼に妻と行ってきました。初めての参加です。
最初に向かったのは旧水府村に鎮座する東金砂神社。国道349号で常陸太田市~日立市山間部を通り、里美大橋を渡って、すれ違いに注意が必要な細い山道を登り、ちょうど公開開始の10時に到着。すでに駐車場には多くの車が停まってました。
続々と見学客が来るなか、急な階段が続く参道を進み、田楽堂を学生ボランティアの説明を聞きながら拝観し、スタンプラリーのスタンプを押印してもらいました。
拝殿に参拝後は社務所まで降りて刀剣を拝観し、集中曝涼限定の三社コラボのクリア御朱印を拝受しました。

神々しい拝殿

急な階段の参道正面からの拝殿

本殿

社号標と鳥居

急な階段の先に仁王門

宝物が展示されていた田楽堂

田楽堂に展示されていた面

社務所の隣りに神輿舎

鳥居近くの由緒書

拝殿近くの由緒書
例祭・神事
元旦祭 1月1日
節分祭 2月3日
嵐除祭 2月11日 (県指定無形民俗文化財 田楽舞奉納)
献穀祭 11月23日
例祭(十二合祭) 12月13日
磯出大祭礼 73年目毎に執行、前回は平成15年
歴史
延暦二十五年(八〇六年三月(五月に大同と改元)、 平城天皇の勅願によって、宝珠上人が社殿を造営し祭壇を設けて、現在の滋賀県大津市坂本にある日吉神社 (山 「王権現)の祭神の分霊を祀って、国家安泰・五穀豊穣の 祈願所とした。翌大同二年(八〇七年)坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、祈願のため多宝塔を建立した。仁明天皇の承和年間(八三四年~八四八年)唐に渡って帰国した 慈覚大師(円仁)が、嘉祥二年(八四九年)諸国巡拝の際当山に登った。山上からのながめが比叡山によく似ているので、大師は二十一社の末社を移して祀り、なお羅漢堂を建て十六羅漢を安置した。
祭礼は、二月十一日の嵐除祭と、十二月十三日の金砂祭(かなさまち)と七十二年に一度執行される大祭礼 (大田楽)とである。
(神社にある案内より)
歴史をもっと見る|東金砂神社の基本情報
| 住所 | 茨城県常陸太田市天下野町9740 |
|---|---|
| 行き方 | JR水郡線「常陸太田駅」より下高倉行バス40分天下野三区下車、徒歩50分。(タクシー約40分)
|
茨城県のおすすめ❄️
| 名称 | 東金砂神社 |
|---|---|
| 読み方 | ひがしかなさじんじゃ |
| 通称 | 金砂権現さま |
| 参拝にかかる時間 | 15分 |
| トイレ | 鳥居前に公衆トイレ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 電話番号 | 0294-85-1638 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | higashikanasajinja@gmail.com |
| ホームページ | http://higashikanasa.jp/ |
詳細情報
| ご祭神 | 大己貴命,少彦名命 |
|---|---|
| 創建時代 | 806年(大同元年) |
| 創始者 | 宝珠上人 |
| 文化財 | 太刀(銘 信國):市指定文化財
|
| ご由緒 | 延暦二十五年(八〇六年三月(五月に大同と改元)、 平城天皇の勅願によって、宝珠上人が社殿を造営し祭壇を設けて、現在の滋賀県大津市坂本にある日吉神社 (山 「王権現)の祭神の分霊を祀って、国家安泰・五穀豊穣の 祈願所とした。翌大同二年(八〇七年)坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、祈願のため多宝塔を建立した。仁明天皇の承和年間(八三四年~八四八年)唐に渡って帰国した 慈覚大師(円仁)が、嘉祥二年(八四九年)諸国巡拝の際当山に登った。山上からのながめが比叡山によく似ているので、大師は二十一社の末社を移して祀り、なお羅漢堂を建て十六羅漢を安置した。
(神社にある案内より) |
| 体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り |
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