ほうぜんじ|天台宗|慈雲山
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逢善寺のお参りの記録一覧

ぼけ封じ関東三十三観音霊場の第33番の逢善寺(ほうぜんじ)にお参りいたしました。こちらは天台宗のお寺で「小野の観音様」として信仰されているそうです。
本堂に歴史を感じるような気がします。
寺務所らしき建物はあったのですが、人がいらっしゃいませんでしたので御朱印はいただいておりません。

本堂



仁王門


金剛力士像



山号は慈雲山、院号は無量寿院、寺号は逢善寺、宗旨 宗派は天台宗、ご本尊は千手観世音菩薩(小野の観音)、ぼけ封じ関東三十三観音 第33三十三番札所、常陸国七福神 弁財天、平安時代の天長3年(828年)、最澄が天台宗を開いた翌年、最澄の弟子 逢善道人が小野村に千手観音を祀ったとのことです。初めは小堂でしたが、常陸国司小野篁が覚叡上人を招いて堂宇を建立し、正徳3年(1713年)には天台宗の関東八檀林の一つに定められ、僧侶養成のための学問所として栄えた。その間、逢善寺は2度の火災に遭い、現在の本堂は天保13年(1842年)に再建されたもの。仁王門は、明治2年(1869年)に東京麹町の日枝神社山門を移築したもので、太田道灌が文明年間(1469年-1487年)に建造したものと伝えられている。昭和56年から7年かけての修復工事が行われ、今に至っている。826年(天長3年) - 最澄の弟子の逢善道人により常陸国河内郡小野村(現・茨城県稲敷市小野)に千手観音を本尊として創建
1713年(正徳3年)- 天台宗学問所「関東八檀林」の一つに定められる
1842年(天保13年)- 本堂を再建
1868年(明治元年)- 東京 麹町の日枝神社の山門を移築したとのことです。
何でも、太田道灌が文明年間(1469~87)に
日枝神社に建立したもので 金剛力士像も
日枝神社から移されたもので、運慶の作と
いわれ、茨城県内で一番古いものだそうです

常陸七福神、弁財天

ぼけ封じ関東三十三観音 第33三十三番札所、











茨城県稲敷市小野にある逢善寺🐉🙏
山号 茲雲山
本尊 千手観音菩薩
茨城県有形文化財
古くから小野の観音様として親しまれ、関東八壇林。
茨城景観百選87番目に選定され、初めて目にした私も、その景観に驚きました❣️❣️❣️
現在の仁王門は、東京都麹町の日枝神社⛩の山門を移築したとされます。
仁王門と金剛力士像は大きく聳え立ち、本堂の長坂猪之助作の大龍🐉、鳳凰、象、獅子の彫刻はまさに圧巻で、長い時間その場で見入ってしまうほど⭐️⭐️⭐️
特に、獅子🦁の彫刻は、本堂をぐるっとひと回りに取り付けられ、しかも、全部違う彫り方にはびっくりです👏
隠れた知る人ぞ知るお寺ですね‼️
ありがとうございます😊🍑✨

本堂✨🐉
大龍🐉の彫刻は圧巻です✨






実物の本堂はかなり高さもあり
とても大きな佇まいです✨✨










大黒様✨


弁財天様✨
優しいお顔立ちです!



















由緒書き✨
鎮護国家救世利民のご祈願をされたようですので、今の世の中には欠かせないお寺さんかもしれません。


敷地はとても広いです⭐️


ありがとうございます😊
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