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うんてんじ|浄土宗八幡山

雲天寺の編集履歴
2024年01月18日(木)
茨城県 守谷駅

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くし
2024年01月18日 01時10分

ご由緒

天正3年(1,575年)に、載蓮社乗譽上人(載蓮社乗譽願求良谷和尚)によって開創されました浄土宗の寺院です。

江戸時代には、正八幡宮の別当を務めるなど浄土宗寺院としては異例の立場にありました。
山号を八幡山(はちまんざん)としており、院号、寺号を含めて正式には「八幡山清浄院雲天寺(はちまんざんしょうじょういんうんてんじ)」と称し、関東十八檀林の飯沼弘経寺(茨城県常総市;大本山増上寺別院)の末寺として開創され、山号は慶安年間に飯沼弘経寺第13世以傳上人より賜っております。
飯沼弘経寺の末寺として開創されたことから、かつては「飯沼流」と呼ばれるお経やお念仏の称え方を用いていた時代がありました(現在でも飯沼流の称え方を用いる寺院があります)
当時は、現在の守谷駅周辺(守谷市中央、本町)に5,500坪を超える広大な寺領を有しておりましたが、農地改革などにより、現在の寺領(約1,450坪)に至ります。
本尊は阿弥陀如来(立像)で、飯沼弘経寺にて檀通上人に仕えていた祐天上人をはじめとした多くの僧侶により、寛文9年(1669年)本堂落慶入仏法要(本堂落慶入仏供養一七日)にて入仏供養されました。
現在では、祐天上人が大本山増上寺第36世法主であられたお姿を刻まれた木像「祐天上人坐像」、祐天上人真筆の六字名号掛軸、江戸時代中期に流行した十王説に基づき描かれた閻魔王などの地獄変相図「十王図」が残っております。
近代になり、明治7年(1874年)には、守谷小学校の前身である中山学校が当山に設けられました。
そして、平成8年(1996年)から9年(1997年)に亘り、第40世住職により、現在の本堂、客殿、庫裏、境内の再建・落成が実施されております。
また、現在は法類寺院である淨泉寺と法務・法事等を共有して執り行っております。
(寺院HPより引用)

院号

清浄院

創立

天正3年(1575年)

編集前:1175年(承安5年)

創始者/開山・開基

載蓮社乗譽上人(載蓮社乗譽願求良谷和尚)

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