高野山真言宗
常楽寺のお参りの記録一覧
🌿📿 寶生山常楽寺 📿🌿
山号 寶生山
宗派 高野山真言宗
開基 大化元年(645)
法道仙人
再興 文観房弘真(もんかんぼうこうしん)
御本尊 薬師如来
十三重塔(鎌倉時代)
(加古川市指定文化財)
大化5年(649年)法道仙人の開基といわれています。天正年間、豊臣秀吉の三木攻めの時、堂塔伽藍すべてを焼失し、文観上人により再建された古刹です。
建武の新政、南北朝時代に活躍した文観上人も常楽寺にいたとされています。
文観上人は、賀古荘(加古川市)の出身と考えられており、#醍醐寺座主 や #東寺長者 として活躍、
後醍醐天皇と行動をともにし、吉野にも同行されたそうです。
本堂に向かって右側には、
くり抜式で古墳時代の石棺、
鎌倉時代・正中2年(1325年)の十三重塔(十一重)、
江戸時代・文化元年(1804年)の #宝塔 が、
本堂の東に建ちます。
十三重塔は竜山石製で文観上人が造立したと伝わります。
他に 石像群の中に不動明王
弁天池 三木守大明神 四国八十八ヶ所写
半夏生花壇 などをゆっくり見せて頂きました。
今回は 中世五輪塔は撮影せずでした。
加古川市には3つのご立派な常楽寺さまがあります。
神吉城址に建つ常楽寺、
上荘町の日光山常楽寺、
そしてこちらの #大野にある常楽寺さま。
門前を上がり、山門に近づくと
コノシメトンボ♂ にアタックされました。🙀
この後
一帯の #日岡御陵 #日岡神社
にお参りさせて頂きました。
加古川市加古川町大野1762
日岡御陵古墳(前方後円墳)は、
第12代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命の陵に
治定されています。
🌿 稲日大郎姫命日岡陵 🌿
#播磨稲日大郎姫
(はりまのいなびのおおいらつめ)
(生年不詳 - 景行天皇52年5月4日)
#大碓皇子(おおうすのみこ)母
#小碓尊(日本武尊)母
日本武尊ヤマトタケルの母
針間之伊那毘能大郎女
印南別嬢
#日岡山古墳群
#兵庫県加古川市加古川町大野
景行天皇(第12代天皇)
(垂仁天皇17年 - 景行天皇60年11月7日)
(在位:景行天皇元年7月11日 - 同60年11月7日)
『日本書紀』での名は大足彦忍代別天皇
日本武尊(ヤマトタケル)の父
纒向遺跡付近に都したと伝えられる最後の天皇であり、考古学上、4世紀前期から中期の大王と推定されます。
皇后
播磨稲日大郎姫(孝霊天皇皇孫)
八坂入媛命(崇神天皇皇孫)
第13代成務天皇
第14代仲哀天皇
日岡山公園
門前
御本堂
白萩
ハギ
山門のコノシメトンボ♂
稲日大郎姫命日岡陵
日岡神社へ
四国八十八ヶ所写が並びます
寶生山 常楽寺 ②
~半夏生と巳さまと花々~
山号 寶生山
宗派 高野山真言宗
開基 大化元年(645)
法道仙人
再興 文観
御本尊 薬師如来
十三重塔
(加古川市指定文化財)
大化5年(649)法道仙人の開基といわれています。天正年間、豊臣秀吉の三木攻めの時、堂塔伽藍すべてを焼失し、文観上人により再建された古刹です。
建武の新政、南北朝時代に活躍した文観上人も常楽寺にいたとされています。 文観上人は、賀古荘(加古川市)の出身と考えられており、醍醐寺座主や東寺長者として活躍、後醍醐天皇と行動をともにし、吉野にも行かれたそうです。
本堂に向かって右側には、くり抜式で古墳時代の石棺、鎌倉時代・正中2年(1325)の十三重塔(十一重)、江戸時代・文化元年(1804)の宝塔が、本堂の東に建ちます。
十三重塔は竜山石製で文観上人が造立したと伝わります。
日岡御陵古墳(前方後円墳)は、
第12代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命の陵に治定されています。
また播磨稲日大郎姫命は
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の母で、
日本武尊は
第13代 成務天皇の(異母兄)。
播磨稲日大郎姫命は、
第14代 仲哀天皇(祖母)
第15代 応神天皇(曽祖母)
にあたります。驚(@_@。✴
25日は、日岡神社夏越祭お参りと
常楽寺さまから日岡山公園まで歩いてみました。
半夏生を沢山見せて頂き、素晴らしいフラワーガーデンで可憐な花々に癒されてきました。
加古川市加古川町大野1762
おまけ すみません
昨年『富士の白雪』の種を蒔きましたが、失敗。
今朝 真白と紫の朝顔が咲きました。
押しつぶしているのは、、、
どーして プチトマト!?
寶生山 常楽寺
~半夏生と十三重塔
日岡御陵古墳へ~
山号 寶生山
宗派 高野山真言宗
開基 大化元年(645)
法道仙人
再興 文観上人
御本尊 薬師如来
十三重塔
(加古川市指定文化財)
大化5年(649)法道仙人の開基といわれています。天正年間、豊臣秀吉の三木攻めの時、堂塔伽藍すべてを焼失し、文観上人により再建された古刹です。
日岡御陵古墳(前方後円墳、墳丘長約85.5メートル)は、『播磨国風土記』賀古郡条にみえる「褶墓(ひれはか)」と関連付ける説があり、
それに基づいて現在では、景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命の陵に治定されています。
その日岡山麓に寶生山常楽寺はあります。
建武の新政、南北朝時代に活躍した文観上人も常楽寺にいたとされています。
文観上人は、賀古荘(加古川市)の出身と考えられており、醍醐寺座主や東寺長者として活躍、後醍醐天皇と行動をともにし、吉野にも行かれています。
仏教の学問僧として、美術の絵画、土木工事、後醍醐天皇に仕えるなど、多才な方だったようです。
本堂に向かって東側には、くり抜式で古墳時代の石棺、鎌倉時代・正中2年(1325)の十三重塔(十一重)、江戸時代・文化元年(1804)の宝塔が、建ちます。
十三重塔は竜山石製で文観上人が造立したと伝わります。
また、御陵に繋がる参道には、四国霊場八十八ヵ所霊場写などがあり、半夏生と無邪気な子カラスに癒された一刻でした。
半夏生(ハンゲショウ)の花
利尿、解毒、解熱作用がある生薬とされ、
三白草(さんぱくそう)とも呼ばれます。
6~8月に開花。本州以南で生息が確認されます。
「ハンゲショウ」の名の由来は、
七十二候の1つである「半夏生」(太陽の黄経が100°になる日であり、毎年7月2日頃) の頃に白い葉をつけるためとする説。
葉の一部を残して白く変化する様子から
「半化粧」とする説があります。
季節名としての「半夏生」は、この頃に半夏 (カラスビシャク) が生えることに由来するとされます。
加古川市加古川町大野1762
半夏生(ハンゲショウ)の花
利尿、解毒、解熱作用がある生薬とされ、三白草(さんぱくそう)とも呼ばれます。
6~8月に開花。本州以南で生息が確認されます。
寶生山常楽寺 御朱印
十三重塔
加古川市指定文化財
手前が古墳時代のくり抜き石棺
御札が納められていました
ハシブトガラス
まだ子供なので警戒心がないそうです
♪こんにちゎーアワワ・アワワ♪
子ども・・・
橋を渡ると辨財天さま
奥には巳さまもありました
四国八十八箇所霊場写
御本堂西側
帝国海軍の方々の墓所でしょうか
下ると、日岡神社第2駐車場となります
日岡御陵へ
日岡神社→寶生山常楽寺→日岡御陵古墳
となります
✴宮内庁✴
まむし注意、、、
日岡御陵
景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命の陵に治定されています。
御陵から常楽寺さまへ下る途中も
ミニ四国八十八箇所霊場写や
地蔵菩薩があります
高野山真言宗 寶生山 常楽寺
大化元年(645)法道仙人の開基となっています。
加古川市内には同じ名前のお寺が3つあるようで、ここは日岡神社のすぐ近くにあります。
境内にはものすごい数のお地蔵や石仏がありました。
山門
本堂
十一重層塔
鎌倉~南北朝時代のもののようです
宝塔と石棺
宝塔は1804年、石棺は古墳時代後期(6~7世紀)となっていました
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