きょうしんじ|天台宗|念仏山
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教信寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 阿弥陀如来 | |
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創建時代 | 承和三年(836年) | |
ご由緒 | 当山は平安初期日本浄土思想、特に口称念仏の創始者教信沙彌(A.D866年寂)の開基である。奈良の貴族佛教に満足できなかった沙彌は当地賀古の駅の北辺の庵に起居しもっぱら阿弥陀仏の称名に明け暮れると共に、旅人の荷を運び農耕を手伝い、ついには駅ヶ池を造り社会福祉と生産活動をしながら易行念仏に終始した。特殊な人にしか出来ない難行苦行や荘厳な儀礼よりも法蔵菩薩の弘誓に救われているという自覚に立ち、人間生活の中で一隅を照らす道を実践した遺跡である。鎌倉時代には親鸞聖人が理想的先輩と仰ぎ、一遍上人も当寺を訪れ示寂の地にしたいとさえした処である。室町時代には堂宇十三僧坊四十八を数える大伽藍になっていた記録があるが、戦国末期、毛利勢と信長配下の秀吉勢力の接点として激戦の地となり天正六年(1578年)春全焼、江戸初期寛永十九年(1642年)現在の姿にまで復興した。幕末期また本堂を焼失したが明治十三年書写山円教寺の念仏道場を移築したのが現本堂である。春秋の好季には全国的に訪れる人あるが教信沙彌の命日に毎年行う会式を「野口大念仏会」通称(ねんぶったん)と称し、遠近の道俗結縁の拝者多く、俳句の季語にさえなっている。 |
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