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善立寺ではいただけません
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善立寺のお参りの記録(1回目)
兵庫県高砂駅

投稿日:2022年01月19日(水)
参拝:2022年1月吉日
善立寺(ぜんりゅうじ)

~渋沢栄一と天竺徳兵衛~


宗派   浄土真宗本願寺派
山号   七寶山
御本尊  阿弥陀如来像
     恵心(942―1017)作
開基   (1477―1560)
創建   永正8年(1511)4月8日
本堂再建 正徳3年(1713)4月8日


『青天を衝け』
木綿の一大産地だった播磨国。 姫路藩は木綿の専売で藩の財政を立て直しました。木綿の取り引きが盛んに行われていた面影が、「綿町」という町の名前に残されています。 この地で作られた木綿は、薄地で柔らかく、遠く離れた江戸でも人気を博しました。栄一は、播磨の一橋領内で生産される木綿に着目します。 江戸時代、加古川水運の集積地であった高砂市は、人や物資が集まり、大いににぎわったといいます。 高砂市内の今市に、栄一は会所を開設し、木綿をまとめて買い取ることでその価値を高めました。さらに、商売を円滑に行うために、藩札(はんさつ)を発行。木綿の商いを成功させ、一橋家に富をもたらしました。 栄一は、父のもとで磨いた商才をこの地で発揮することとなったのです。


天竺徳兵衛
江戸初期の商人。正確な生没年は不明。播磨国(兵庫県)加古郡高砂町の生まれ。1626年(寛永3)、朱印船貿易家角倉了以(すみのくらりょうい)の船頭、前橋清兵衛に書役(書記)として雇われ、シャム(タイ)に渡航し、さらに30年にもオランダ人ヤン・ヨーステン(耶揚子(やようす))の朱印船に乗り組み、東南アジアからインド方面に渡航しました。この二度の渡航の見聞をまとめたものが『天竺渡海物語』『天竺物語』として伝えられ、当時の朱印船の構造や貿易品などを知る重要な史料となっています。また、徳兵衛の見聞記は、その異国趣味的興味が鎖国制下、江戸時代庶民の好奇心をそそり、『天竺徳兵衛聞書往来』(並木正三(しょうざ)・1757)、『天竺徳兵衛郷鏡(さとのすがたみ)』(近松半二・1763)、『天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)』(4世鶴屋南北・1804)など、浄瑠璃や歌舞伎の題材に取り上げられ、広く流布しました。
その天竺徳兵衛のお墓があります。


お隣に高砂公民館(高砂コミュニティ)があり、
美濃部達吉(東京帝国大学名誉教授)親子の文庫石碑があります。


万灯祭の際は 善立寺でJazzが演奏されます。
お寺 meets Jazz♪


十輪寺と高砂神社の中間くらいに位置します。


善立寺 Facebook
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高砂市高砂町横町1096

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