こんごうじょうじ|高野山真言宗|七種山
金剛城寺のお参りの記録一覧
七種山 金剛城寺
次々に押し寄せる苦難を乗り越えて
山号 七種山(なぐささん)
宗派 高野山真言宗
御本尊 十一面観世音菩薩
建立 推古帝の御宇
創建 舒明5年(632年)
開基 恵灌(えかん)法師
開山 法道仙人
札所等
新西国三十三箇所第30番
御詠歌
こんごうの をしへのしろの
みめぐみの
つゆしげをかや なゝぐさのさと
播磨西国三十三箇所第12番
御詠歌
なぐさやま みねよりおつる
たきなみの
したにたれかは つくるもんでら
文化財 石造地蔵菩薩像
(福崎町指定有形文化財)
聖徳太子は霊地である七種山に、一寺建立の願いを抱いていましたが果たせませんでした。
志を継いだ高麗の僧・恵灌(えかん)法師が、七種山の中腹、七種の滝の近くに「金剛城寺」を創建し、法道仙人が開山したといわれています。
最も栄えた頃は、林間に数十の僧坊が甍(いらか)を連ねていたものの、観応元年(1350年)に焼失しますが、足利尊氏の命で再建されます。
しかし、文明6年(1474年)に焼失し、衰退しました。
江戸時代初期の慶長6年(1601年)に台肪明覚上人により作門寺と改められ、復興が始まります。
明治初期に行われた廃仏毀釈などによって寺地を国に没収され、境内が七種山の中腹から現在地に移されました。
当寺の境内を横切る形で、田賀神社の参道が通っています。
境内
御本堂1912年(明治45年)再建。
御本尊十一面観世音菩薩安置。
阿弥陀堂 権現堂 護摩堂
本坊 庫裏 客殿 弁天堂
寺院会館 正覚殿 干支守本尊
四国八十八箇所石仏群
石造地蔵菩薩像(福崎町指定有形文化財室町時代の応永6年(1399年)の銘があります。
鐘楼
山門(楼門1932年)(昭和7年)建立。
旧山門にあった仁王像を安置。
七種権現社 鎮守社
旧山門
寺が七種の滝の近くにあった時代の伽藍の唯一の遺構。
江戸時代の元禄14(1701年)再建。
御住職が大変お優しく、毎回御詠歌を別にお書き入れくださいます。
御詠歌には日付は入れませんが、昨年もお入れ頂きましたので今回もお願いしました。
「新西国霊場」はどちらも御詠歌を書入してくれますよ、とも教えて下さいました。💖
出石神社でも見ることができた、リヤカー?「金剛城寺」と銘の入った「消防手押しポンプ」がとても好きです。
御本堂屋根下に、宮大工さんの素晴らしさがわかる にらみを利かせた力士天の邪鬼がいます。幾多の苦難を乗り越えて伽藍を再興されました御住職方を想像しながら石段の上の「護摩堂」やいぶし銀の屋根瓦、山々の景色を眺めさせて頂き、胸が熱くなりました。
1点ものの、瓢箪型の金剛城寺御守りも選んで授与下さいました。
ありがとうございました。
兵庫県神崎郡福崎町田口236
消防手押しポンプ?
干支守本尊
高野山真言宗 七種山 金剛城寺
新西国三十三箇所霊場 第30番札所
播磨西国三十三箇所観音霊場 第12番札所
年の瀬もせまった午後ということもあり、他に参拝される方もいらっしゃらず広い境内を一人でゆっくりと散策できました。
仁王門をくぐったところに
「宝印される方は鐘つき堂の鐘を先きについてから納経所においで下さい」と書かれています。
まずは境内をすべてまわらせていただいた後に、鐘つき堂まで戻り鐘を撞いてから納経所に向かわせていただきました。
現在、コロナ対策のため御朱印受付は午後3時までとなっていたのですが、このとき既に午後3時15分😅
15分とは言え時間が過ぎてるので諦めようかなと思ったときに、ちょうど奥様が表に出てこられたので御朱印をお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。
御親切に対応くださり、ありがとうございました。
ご本尊 十一面観世音菩薩
<縁起>~新西国霊場HPより~
金剛城寺は、推古天皇の時代、聖徳太子がこの地に来られ、霊厳の地であるからとのことで恵灌法師をして寺を建てさせ、国家安泰、庶民福利の祈願所とされたのが、その始まりである。高麗の人恵灌法師は、日本三論宗の開祖となられた人で、金剛城寺の堂塔伽藍が完成すると、法道仙人を招き開山式を催された。その後、弘法大師が来山、護摩秘法を伝えてより、金剛城寺は、真言宗の宗旨を奉ずるようになり、現在に至っている。
金剛城寺は火難が多く、幸いにしてご本尊は無事であったが、寺運は盛衰を繰り返した。七種山の中腹から現在のところへ移転したのは明治の初めで、一時作門寺と称したこともあったが、昭和三年に金剛城寺に戻っている。
仁王門
仁王門の彫刻が凄すぎて、なかなか境内に入れない😅
本堂
本堂彫刻
手挟にも見惚れてしまいました
ご詠歌
金剛の をしへの城の みめぐみの つゆ滋岡や 七ぐさのさと
本堂と阿弥陀堂を繋ぐ渡り廊下
阿弥陀堂
地蔵菩薩石仏
権現堂
護摩堂
弁天堂
よい子地蔵
十二支守本尊
境内から見た仁王門
本坊の彫刻
これがまたすごい!
御朱印はこの本坊の裏手にまわったところでいただけます。
新西国霊場 御朱印
七種山 金剛城寺
山号 七種山(なぐささん)
宗派 高野山真言宗
御本尊 十一面観世音菩薩
創建年 推古天皇5年(597年)
開山 恵灌
札所等
新西国三十三箇所第30番
播磨西国三十三箇所第12番
文化財 石造地蔵菩薩像
(福崎町指定有形文化財)
推古天皇5年(597年)に聖徳太子の命を受けた日本における三論宗の開祖である高麗僧 恵灌により、七種山の中腹、七種の滝の近くに滋岡寺(しげおかじ)という寺号で創建されたと伝わります。
七種山には修行僧の滋岡川人が住んでおり、干魃の時に七つの種を人々に与え飢餓から救い、この種は尽きることがなかったといわれます。
恵灌が寺を建立しようと現地を視察した際、川人より十一面観音を刻んで安置するよう命じられたと伝わります。
最初の寺号は、この滋岡川人より名付けられました。
堂塔伽藍が完成すると、法道仙人を招いて開山式が行われました。
天平4年(732年)に焼失しますが、聖武天皇の勅命で再建されます。
空海(弘法大師)の来山以降は真言宗の寺となりまし後、寺号を金剛城寺と改めました。
観応元年(1350年)に焼失しますが、足利尊氏の命で再建されます。
しかし、文明6年(1474年)に焼失し、衰退しました。
江戸時代初期の慶長6年(1601年)に台肪明覚上人により作門寺と改められ、復興が始まります。
明治初期に行われた廃仏毀釈などによって寺地を国に没収され、境内が七種山の中腹から現在地に移されました。
当寺の境内を横切る形で東側にある
田賀神社の参道が通っています。
境内
御本堂1912年(明治45年)再建。
御本尊十一面観世音菩薩安置。
阿弥陀堂 権現堂 護摩堂
本坊 庫裏 客殿 弁天堂
寺院会館 正覚殿
四国八十八箇所石仏群
石造地蔵菩薩像(福崎町指定有形文化財室町時代の応永6年(1399年)の銘があります。
鐘楼
山門(楼門1932年)(昭和7年)建立。
旧山門にあった仁王像を安置。
七種権現社 鎮守社
旧山門
寺が七種の滝の近くにあった時代の伽藍の唯一の遺構。
江戸時代の元禄14(1701年)再建。
兵庫県神崎郡福崎町田口236
TEL:0790-22-0014
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