ぐぜいじ
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弘誓寺ではいただけません
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弘誓寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年12月11日(月)
参拝:2023年11月吉日
天台宗 三尾山 弘誓寺(ぐぜいじ)
多紀郡西国三十三ヶ所観音霊場 11番札所
とっても静かなところでした。
本堂には自由に上がってお参りすることができました。
御朱印をいただけばよかったのですが、ちょうど境内の草刈りなどをされておりなんとなく気が引けてしまったため御朱印はいただかずに退散しました。
御本尊 金剛界大日如来
御詠歌
誓いある風にまよいの雲はれて 峯をも谷も三つの尾の山
<縁起>
大化三年(647年)五月、法道仙人一宇の草庵を結びて観音大士(如意輪観世音菩薩)を安置する。名を弘誓寺という。
当時宗派未定。大同三年(808年)、伝教大師勅命を奉じ来たり、当寺を中興して三ヶ院を建立する。一を願主院と名付け、ニを後生坊、三を東光坊という。これより天台宗となる。
その後、文治四年(1188年)まで三百八十年間法勢全国にわたる。
おかしいかな当時兵乱の為焼失する。然るに、本尊観音は依然として危難を免れる。これを興法寺に遷す。
時なる哉、当国三尾の城主赤井刑部大輔『赤井幸家(1532~1606)』深く観音を信仰し、たちまち同寺を旧跡に再興し、本尊を再遷する。又、三尾城内に祭崇せる大日如来は行基菩薩の作なるものを本尊の側に安置し、志願満足なるを喜ぶ。かつ同寺名の上に冠をしめて三尾山と号す。
時既に、寛文二年(1662年)、本尊の如意輪観世音菩薩、当時の住職僧に夢告していわく「我は補処の菩薩なり。しかるに毘盧遮那仏を側にせん。宜しく大日如来を中尊となすべし」と。
この故に大日如来を本尊と改めたり。
多紀郡西国三十三ヶ所観音霊場 11番札所
とっても静かなところでした。
本堂には自由に上がってお参りすることができました。
御朱印をいただけばよかったのですが、ちょうど境内の草刈りなどをされておりなんとなく気が引けてしまったため御朱印はいただかずに退散しました。
御本尊 金剛界大日如来
御詠歌
誓いある風にまよいの雲はれて 峯をも谷も三つの尾の山
<縁起>
大化三年(647年)五月、法道仙人一宇の草庵を結びて観音大士(如意輪観世音菩薩)を安置する。名を弘誓寺という。
当時宗派未定。大同三年(808年)、伝教大師勅命を奉じ来たり、当寺を中興して三ヶ院を建立する。一を願主院と名付け、ニを後生坊、三を東光坊という。これより天台宗となる。
その後、文治四年(1188年)まで三百八十年間法勢全国にわたる。
おかしいかな当時兵乱の為焼失する。然るに、本尊観音は依然として危難を免れる。これを興法寺に遷す。
時なる哉、当国三尾の城主赤井刑部大輔『赤井幸家(1532~1606)』深く観音を信仰し、たちまち同寺を旧跡に再興し、本尊を再遷する。又、三尾城内に祭崇せる大日如来は行基菩薩の作なるものを本尊の側に安置し、志願満足なるを喜ぶ。かつ同寺名の上に冠をしめて三尾山と号す。
時既に、寛文二年(1662年)、本尊の如意輪観世音菩薩、当時の住職僧に夢告していわく「我は補処の菩薩なり。しかるに毘盧遮那仏を側にせん。宜しく大日如来を中尊となすべし」と。
この故に大日如来を本尊と改めたり。
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