文政6年5月、場所請負人の柳谷庄兵衛が祀ったことに始まる。天保3年正月に西川順兵衛と請負を替わって同氏が祀っていた。嘉永6年正月、更に佐藤栄衛門と請負替えがあり、以後は地元住民で祀ってきた。明治4年に社を再建し、同9年2月に村社に列せられた。同13年5月14日には現在地に遷座されている。境内は寿都湾を一望し漁業を守護している。
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