ちとせじんじゃ
千歳神社の編集履歴
ご由緒
松前藩資料福山秘府によると、「弁財天小社東夷地、志古津、万治元戌造営、同3年神体ヲ安置」とあり、万治元年(1658)に弁天堂が建立され、享和3年(1803)に樺太南部探険に功績のあった勇払詰所役人高橋治太夫が、思古津場所の守護神として、京都伏見から正一位思古津稲荷大明神を奉斎し、文化2年(1805)に思古津場所の鮭漁が栄んになるに従って、さらに弁財天が勧請された。この文化2年に奉られた弁財天の御厨子の裏に、箱館奉行羽太正養により「死骨」(シコツ)から「千歳」と改称された由来が書かれ、この地を千歳と改め、明治8年主祭神を豊受姫大神とし、同年郷社に列し、大正6年稲荷社を千歳神社と改称して、昭和51年現社殿を造営し、今日に至っている。
編集前: 松前藩資料福山秘府によると、「弁財天小社東夷地、志古津、万治元戌造営、同3年神体ヲ安置」とあり、万治元年(1658)に弁天堂が建立され、享和3年(1803)に樺太南部探険に功績のあった勇払詰所役人高橋治太夫が、思古津場所の守護神として、京都伏見から正一位思古津稲荷大明神を奉斎し、文化2年(1805)に思古津場所の鮭漁が栄んになるに従って、さらに弁財天が勧請された。この文化2年に奉られた弁財天の御厨子の裏に、箱館奉行羽太正養により「死骨」(シコツ)から「千歳」と改称された由来が書かれ、この地を千歳と改め、明治8年主祭神を豊受姫大神とし、同年郷社に列し、大正6年稲荷社を千歳神社と改称して、昭和51年現社殿を造営し、今日に至っている。
ご祭神/ご本尊
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
伊智伎志摩比売命(いちきしまひめのみこと)
編集前:豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
伊智伎志摩比売命(いちきしまひめのみこと)
URL
https://chitosejinja.or.jp/
参拝時間
授与所:08:30~16:30
文化財
・弁財天厨子(市指定・文化2年製作)
・その他 市指定保存樹林(境内の森林)
編集前:・弁財天厨子(市指定・文化2年製作)
・その他 市指定保存樹林(境内の森林)
御朱印の説明
右上にび立つ鶴が描かれた印、右下に三つ巴紋と北海道千歳市鎮座と書かれた印が押されています。
真ん中に千年神社と書かれ、千歳神社の印が。例大祭や花手水巡り開催中は特別御朱印がいただけます。表紙に木材が使用された御朱印帳があります。
編集前:右上にび立つ鶴が描かれた印、右下に三つ巴紋と北海道千歳市鎮座と書かれた印が押されています。
真ん中に千年神社と書かれ、千歳神社の印が。例大祭や花手水巡り開催中は特別御朱印がいただけます。表紙に木材が使用された御朱印帳があります。