さいじょうしょうてん かんげんじ|真言宗御室派|勝谷山
※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
以仁王の挙兵(1180年・治承4年)で源頼政が敗死した後、頼政の室・菖蒲前は息子の種若丸と共に、頼政の郎党・猪野隼太(勝谷右京)に導かれて安芸国賀茂郡に逃れた。同寺は源頼政と、この地で早世した種若丸の菩提のために創建されたと伝わる。
あり 境内地(広い)
広島県重要文化財・観現寺厨子東広島市市史跡・宝篋印塔 - 『芸藩通志』によれば「勝屋右京墓」「建保四丙子年(1216年)七月八日」と刻されていた。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに同意したものとみなします。