木舟山 順教寺の日常(67回目)|広島県志和口駅
今回の仏華は、季節の草木としてヒイラギの実を使用しているのが特徴です(写真では少し分かりにくいです。)。
すてき
みんなのコメント(2件)
熊谷 兼高さま
いつもお世話になっております。
相変わらず、真宗さんの活け花は、するどく、しかし、こころにやさしく刺さるものですね。
何気ない草花が、さりげなく自己主張、というか、仏の教えをやさしくお示しくださることは、在家のわたくしには、ホントにありがたいことです。
ところで
先般は、実に丁寧な説法、ありがとうございました。
他宗派で、しかも、どこの馬の骨ともわからない在家の者のためにご説法をいただき、まこと平身低頭するばかり。
常々、真宗のお寺さんは懐が広いという感覚があったのですが、今回はそれを裏打ちするかのようで、わたくしホントに参りました。
余計な手間を取らせてしまい、申し訳ありません。
仏の教えを衆生に伝え、広めることについては、実は宗派というのはあまり重要ではない、と心の底でズッと思っておりました。
その思いが、今回の兼高さまの教えで、はっきりしました。
釈迦は何を伝えたいのか、そこへ返ることが、一番大事なのですよね。
実はこのところ、釈 徹宗 先生の「天才 富永 仲基」という著作を読んでおりまして、釈迦の本当の教えはどこにあるのか?
ということを最近強く感じていたせいか、尚更です。
この著作、ことばは汚くなりますが、ヤバイですね。
自分の信心は、大丈夫か?と疑いを感じてしまいます。
釈迦の教えといえども、実は、年月を経る間に、時々の伝法者によって書き足しがされていたのだ、という推論は、納得をせざるを得ないところがあります。
彼の「聖書」にも、伝道者によって「イエスの教え」が微妙に変わる、ということが現実にあるわけですから。
(恥ずかしながら、一時、教会に通っていたことが、あります(笑))
真言宗で言えば、西暦860年ころの弘法大師の教えが、先代の恵果阿闍梨の教えのまま現在まで生きている、とは、よくよく考えればありえないわけですよね。
道徳は、どうあってもその時代によって変わる(もしくは、ねじ曲げられる)ことは、どうしても避けられない。
そこを踏まえて、新たな世代の伝法者はどういう態度を取るのか?、そこを真剣に考える必要があるように思います。
兼高さまは門徒さまに、今様に適合するようなお話をされているのでしょうか?
その辺、少し興味があります(スミマセン)。
ところで
釈先生の著作もそうですが、彼の五木寛之氏の「わたしの親鸞」も、仏教徒は必読ですね。
後者は、ロシアのウクライナ侵攻を考える上でも、目を通した方が良いと考えます。
兼高さまは、戦争と宗教の関係というものを、考えたことがございますか。
五木寛之氏の著作は、そのことに触れており、わたくしは、コトバを失いました。
(生意気なことを申してしまい、スミマセン)
今日の野田市、ビックリするほど、穏やかで、静かな一日でした。
早朝から諸々の家事に励み、今は、クタクタであります(笑)
ウクライナのこと、あの東日本大震災、不思議と重なってしまいましたが、それらを忘れてしまうような青空と温かな陽気、ホッとする同時に、自分は大丈夫か?という思いに囚われてしまいました。
明日も、どうか、おだやかな日でありますように。
弘法様、コメントありがとうございます。
そうですね、仏の教えを伝える事に宗派の垣根は関係ないと多くの僧侶は考えていると思います。
ただ、葬儀や法事などの考え方が浄土真宗と他宗派ではかなりの違うのでそれを一般の方々に伝える際に宗派の垣根を感じることはあります。
いずれにせよ、仏の教えから逸脱せずに現在の人になるべく分かりやすく言葉で伝える努力をすることが今を生きる僧侶に求められているような気がします。
私も、まだまだ不勉強ではありますがなるべく難解な仏教用語は使わずにできるだけ世の中に浸透している言葉を使用して一般の方に仏の教えを伝えるように苦心しています。
といってもまだまだ未熟者ではありますが・・。
釋徹宗先生の本は、まだ「天才 富永 仲基」は読んだことがありませんが、何冊か読んだことがあります。最近だと、「お経で読む仏教」という本を読みました。
仏陀の教えやお経の意味合いが分かりやすく語られているので勉強になりました。今度、「「天才 富永 仲基」や五木先生の「わたしの親鸞」も読んでみます。
戦争と宗教の関係というのは、いくどか考えたことがあります。過去に、起きた大戦の中でキリスト教VSイスラム教やキリスト教VSユダ教など宗教の対立が原因で起きた大戦はいくどもありましたよね。
そんな事を考えると、本来人を救う事が目的である宗教が人を傷つけるものに変貌している事は非常に嘆かわしいと思います。日本においても、一向一揆や島原の乱など宗教がらみで起きている争いは沢山ありますよね。
宗教と強大な権力が結びつくと時に戦争に発展することがあるのは、過去から現在までに至るまでの人類の歴史において非常に残念なことだと思います。
「わたしの親鸞」は宗教と戦争というテーマにも触れられているんですね。今度、読んで勉強させていただきます。
早く、ウクライナとロシアの戦争が終結し両国やその戦争で被害にあわれている方々が救われるといいですよね。
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