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寛永寺別院浅間山観音堂 奥の院「炎観音」ではいただけません
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寛永寺別院浅間山観音堂 奥の院「炎観音」のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月14日(土)
参拝:2024年9月吉日
“嬬恋村”の復習をかねて、なぜ由縁?鬼押出し園に寛永寺(上野 徳川家菩提寺)別院なのか?と言うわけで参拝しました。
直書きの御朱印です。
HPより
標高1322m 。涼しい。HPより
“奥の院”「炎観音」。
鬼押出し園は天明3年の浅間山大噴火の熔岩が固まった跡地にあり、「火口で鬼があばれ岩を押し出した。」という当時の人々が見た噴火の印象からこの名は由来しています。(引用)
惣門(二天門)。この門は、寛永寺の勧学講院という学問所の表門として使用していたものを昭和41年に移築したもので、両脇には増長天・持国天の二天尊像が鎮座しています。
軽井沢=ジョン・レノンのイメージ。
一昔、世界的に一番有名な日本人は?“ヨーコ オノ”という時代が有りました。子供の情操教育には良い場所です。
どの灯籠でしょうか?
水盤舎。
鐘楼堂。
自由に突ける鐘、子供さん達で賑わっています。
天明の大噴火の際、鎌原村にあった寛永寺の末寺である延命寺も埋没してしまい、生き残った93人の救済を当時の寛永寺の住職が命じ、多くの僧侶が鎌原に訪れ犠牲者の供養を行ったと言われています。そういったご縁により、昭和33年鬼押出し園内に東京都上野にある東叡山寛永寺より聖観世音菩薩をお迎えし、浅間山観音堂が創建されました。厄難消除・諸願成就「鬼押出しの厄除け観音」として今もなお参詣者から信仰されています。(引用)
スマホpixel8a撮影。
スマホpixel8a撮影。
ニコンD200撮影。撮って出しです。
“千トン岩”。「千トン岩」は、 1950( 昭和 25) 年 9 月 23 日の噴火で噴出された巨大な火山岩塊で、最近の噴火で噴出されたもののうち、現存する最大のものとされている。 その大きさから地元では「千トン岩」と呼ばれるが、実際には 2 3 千トンはあるものと 推定されており、火山噴火のエネルギーの大きさを感じることができる。(引用)
オリンパスSH-3撮影
オリンパスSH-3撮影
“鎌原観音堂”本日は書き手さんがいらっしゃいましたので 直書きで頂きました。
生死を分けた石段“15段”。
浅間山(天明の大噴火 鬼押溶岩 )→寛永寺別院(鬼押出し園)→鎌原観音堂→延命寺(寛永寺末寺)→天明の大飢饉と繋がりました。
嬬恋郷土資料館の無料駐車場を利用して“鎌原観音堂”に参拝します。
今回の目的は“嬬恋村”で嬬恋高原キャベツを食べるでした。自家製ドレッシングで食べるキャベツのサラダ、シンプルで大変美味しいう御座いました。普通にサラダが付いてくる“そば屋さん”お値段以上でした。
東京最高気温35℃、このお店窓全開エアコン無しでも大丈夫。
東京最高気温35℃、このお店窓全開エアコン無しでも大丈夫。
“千トン岩”と“キャベツ”自然の恐ろしいさと恵みを学べました。
涼しいので“焼きそば”が食べたい。
パノラマラインはキャベツの香り。
すてき
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