かんばらかんのんどう
鎌原観音堂のお参りの記録一覧
旧鎌原村は天明3年(1783)の天明浅間山大噴火の岩屑(がんせつ)なだれで埋没した。村の高台にあった鎌原観音堂に避難した93人が奇跡的に助かったことから、厄よけ観音として信仰を集めてきた。かつて50段あった石段のうち土石なだれから免れた15段は今も残っている。(引用)
本日の目的地、浅間山の大噴火で壊滅した鎌原集落で残った鎌原観音堂参拝しました。
国土交通省HP拝借
拝借
拝借
「天明の 生死をわけた 十五段」と言われてきた。
石段下から女性が二人。 1979年の発掘調査で、埋没した石段から女性2名の遺体が発見されました。
嬬恋郷土資料館見学します(入館料300円)。鎌原観音堂の御朱印(書き置き500円)はココで受け無料駐車場を利用して鎌原観音堂を参拝します。
イタリア·ポンペイは、紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火によって消滅。消滅当時、65ヘクタールほどの大きさの町で人口は1万1千人ほどだったそうです。5mもの灰に埋もれたことで、盗難や侵食などの被害から免れ、比較的保存状態が良いため今でも当時の様子が伺えます。(引用)
鎌原村が“日本のポンペイ”と言われる由縁です。
日本のポンペイ!群馬・鎌原村 、天明3年の浅間山大噴火の土石流により
村も人も埋もれた過去の真実を伝える場所です。
村人たちは高台を目指し、この石段を駆け上がりましたが、生死の境は「赤い橋」あたり、
当時はもちろんない橋ですが、この「赤い橋」の位置より上段まで逃げることができた
人のみ助かり、それより下段の人は土石流に飲まれ命を落としたと伝えられる。
北軽井沢から草津方面への途中にあり、なかなかココを目指してくる人は少ないが
是非、訪れてほしいところでもある。
石段はかつて50段あった(今ある石段は下から数えて35~50段目)
発掘調査の結果、これより下に石段がありお年寄りと若い女性の2遺体が発見されている。
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