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楽しみ方編集詳細
2024年05月06日(月) 21時19分 byオサッペ
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真言宗智山派
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えんまんじ
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室町時代前期の永享10年(1438)関東管領山内上杉憲実が平井へ退去のおり、鎌倉の極楽寺を東平井に円満寺として再建したといわれている。 室町時代後期の天文21年(1552)平井城落城の時に焼失し、再建されたが慶長7年(1602)再び火災にあった。 その後、江戸時代中期の明和5年(1768)現在地に移る。 この寺には、江戸時代後期の文化9年(1812)34世浄如法印の代に建立した行人塚があり、 昭和55年3月郷土史研究家により、行人塚から関東管領山内上杉憲房の墓碑が発見された。 昭和63年5月1日墓域において、憲実公墓碑、顕定公墓碑を複製した供養塔を建立するとともに、 憲房公の墓碑を修復し、追善遠忌法要が営まれた。(藤岡市教育委員会、案内板より引用)
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関東管領上杉氏の祈願寺でしたが、いまは無住の寺院です。しかし楼門が立派で県道から見えます。 山門横には上杉家の墓石もあります。
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JR八高線:群馬藤岡駅・北藤岡駅より藤岡市営バス(めぐるん・三ツ木~高山線)にて東平井公民館前下車徒歩10分
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5分
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山門前墓所入り口に1台、境内地内に10台以上
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山門横に墓参者用トイレあり
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5分
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なし
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1438(永享10)年
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(山内)上杉憲実
