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2026年05月04日(月) 17時16分 byくし

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ご由緒
編集前
五柱の大神等を御祭神として、衆民の願いにより、天保初年(1830)の頃勧請し、五穀豊穣・心身安泰・国家安寧・地域の発展の御守護を祈願して参りました。
又、境内社 禰々古神社・八坂神社・菅原神社の三社も同様、幾度か補修工事したるも社殿の損傷も見られ、平成八年(1996)より十一年間に亘り浄財の積立てを頂き、氏子・崇敬者の皆様から物・心両面の御支援に依り、御社殿等の平成の大改築並びに御遷宮を齋行できました。
氏子・崇敬者の皆様に心より厚く御礼申し上げますと同時に、この里内を始め、国の内外の安泰を御祈願申し上げます。
(改築記念碑より)
※現在の社殿は平成十九年(2007年)に改築。
――――――――――
【祢々古神社】
祭神は少彦名命とのことだが、これは明治の神仏判然令で神道の神を充てたもので、元は利根川の河童の女大親分 禰々子を祀っていたのではないかと思われる神社。
利根川流域に禰々子の伝承は多いが、神として祀られているのは、茨城県北相馬郡利根町の加納家の屋敷神などの例しか聞いたことがなく、おそらく神社として祀られてるのは日本でここだけではないかと思われる。
(ざっと検索しましたが、利根川流域はおろか関東全域でもここしか見つかりませんでした)
――――――――――
【禰々子と猫】
また当社の鳥居の扁額は、幕末~明治初期の岩松家当主 岩松俊純による揮毫だそうだが、岩松家というと、江戸時代は徳川家に冷遇され「魔除けの猫絵」を売って糊口を凌いでいた。
この猫絵はネズミ除けに絶大な効果があると信じられ、上野・下野・信濃の養蚕農家に重宝された。
他にも、疱瘡除・疫神除・狐憑き封じのための魔除札を発行し、求める人に下付していた。
そしてついには、岩松の殿様が下付する食物は熱を下げる、草鞋は狐憑きを封じる、その顔を拝すると狂人の気が直る効能があるという信仰すら得るようになったという。
「ねねこ」は「ねこ」にも通じるため、そういった縁起担ぎや言霊信仰的なものを感じさせる。
残念ながら禰々子神社の由来は不明だが、水神的な面と併せて、農耕・養蚕の守護神として信仰されていたのかもしれない。
編集後
五柱の大神等を御祭神として、衆民の願いにより、天保初年(1830)の頃勧請し、五穀豊穣・心身安泰・国家安寧・地域の発展の御守護を祈願して参りました。
又、境内社 禰々古神社・八坂神社・菅原神社の三社も同様、幾度か補修工事したるも社殿の損傷も見られ、平成八年(1996)より十一年間に亘り浄財の積立てを頂き、氏子・崇敬者の皆様から物・心両面の御支援に依り、御社殿等の平成の大改築並びに御遷宮を齋行できました。
氏子・崇敬者の皆様に心より厚く御礼申し上げますと同時に、この里内を始め、国の内外の安泰を御祈願申し上げます。
(改築記念碑より)
※現在の社殿は平成十九年(2007年)に改築。
――――――――――
【祢々古神社】
祭神は少彦名命とのことだが、これは明治の神仏判然令で神道の神を充てたもので、元は利根川の河童の女大親分 禰々子を祀っていたのではないかと思われる神社。
利根川流域に禰々子の伝承は多いが、神として祀られているのは、茨城県北相馬郡利根町の加納家の屋敷神などの例しか聞いたことがなく、おそらく神社として祀られてるのは日本でここだけではないかと思われる。
(ざっと検索しましたが、利根川流域はおろか関東全域でもここしか見つかりませんでした)
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【禰々子と猫】
また当社の鳥居の扁額は、幕末~明治初期の岩松家当主 岩松俊純による揮毫だそうだが、岩松家というと、江戸時代は徳川家に冷遇され「魔除けの猫絵」を売って糊口を凌いでいた。
この猫絵はネズミ除けに絶大な効果があると信じられ、上野・下野・信濃の養蚕農家に重宝された。
他にも、疱瘡除・疫神除・狐憑き封じのための魔除札を発行し、求める人に下付していた。
そしてついには、岩松の殿様が下付する食物は熱を下げる、草鞋は狐憑きを封じる、その顔を拝すると狂人の気が直る効能があるという信仰すら得るようになったという。
「ねねこ」は「ねこ」にも通じるため、そういった縁起担ぎや言霊信仰的なものを感じさせる。
残念ながら禰々子神社の由来は不明だが、水神的な面から農耕・養蚕の守護神として信仰されていたのかもしれない。