だいしんじ|浄土宗|霊松山
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新田四天王の一人・篠塚伊賀守重広は、義貞の戦死後も南朝方として各地を転戦し、後醍醐天皇から伊賀守を賜りますが、1342年、新田一族の大館氏明に従軍した四国今治の世田城の籠城戦に敗れると、今治浦から船で魚島(愛媛県上島町)に逃れて3年過ごし、その後海路で波崎(茨城県神栖市)に帰還し、記念として船の碇石を陸に安置したそうです。邑楽町篠塚の大信寺にある重広の墓所には、その錠石と同型のものが置かれていますが、長さ2.5m、重さ400kgの碇石で、これを一人で担いだと言われています。
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