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2026年05月27日(水) 00時40分 byくし

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ご由緒
編集前
「広報おうら」の平成28年の記事より、邑楽町狸塚水立と篠塚十三軒の境界付近に地蔵堂があるとの情報を得て探してみたが見つけることができなかった。
しかしこの十三軒集落センターに安置されている地蔵菩薩が像容が一致するため、移転したものではないかと思われる。
――――――――――
【十三軒の地蔵様】
200年ほど前、十三軒辺り一帯に流行病が大発生して、子供や老人が次々と倒れました。
十三軒、焼立の人たちは寄り合って相談し、仏様におすがりして疫病を防ごうと、篠塚村境に地蔵様を建てて村中無病息災をお願いすることにしました。
こうして安永九年(1780年)8月、狸塚村焼立十三間講中(信仰者)によって、地蔵様が建立されました。
それからは疫病も災難もなくなりました。地蔵様には焼立・十三間の記銘がありますが、この十三軒は当時、名主の家が十三間あったので、これを取って焼立十三間としたといわれています。
それから歳月も流れて人家も十三軒に増えました。その頃から土地の呼び名を十三軒・焼立と呼ぶようになったといいます。
村人は地蔵様に感謝し、現在は毎年4月24日、7月24日、10月24日に地蔵祭りを続けています。
昔は祭りの日に耕地中が沸き、前と後ろ二人がかりで棒に吊るした太鼓を担ぎ、みんながこれを叩いて村中を回って、無病息災・村中安泰を盛大に祈願しました。
今もなお土地の人々に信仰されています。
編集後
「広報おうら」の平成28年の記事より、邑楽町篠塚水立と狸塚十三軒の境界付近に地蔵堂があるとの情報を得て探してみたが見つけることができなかった。
しかしこの十三軒集落センターに安置されている地蔵菩薩が像容が一致するため、移転したものではないかと思われる。
――――――――――
【十三軒の地蔵様】
200年ほど前、十三軒辺り一帯に流行病が大発生して、子供や老人が次々と倒れました。
十三軒、焼立の人たちは寄り合って相談し、仏様におすがりして疫病を防ごうと、篠塚村境に地蔵様を建てて村中無病息災をお願いすることにしました。
こうして安永九年(1780年)8月、狸塚村焼立十三間講中(信仰者)によって、地蔵様が建立されました。
それからは疫病も災難もなくなりました。地蔵様には焼立・十三間の記銘がありますが、この十三軒は当時、名主の家が十三間あったので、これを取って焼立十三間としたといわれています。
それから歳月も流れて人家も十三軒に増えました。その頃から土地の呼び名を十三軒・焼立と呼ぶようになったといいます。
村人は地蔵様に感謝し、現在は毎年4月24日、7月24日、10月24日に地蔵祭りを続けています。
昔は祭りの日に耕地中が沸き、前と後ろ二人がかりで棒に吊るした太鼓を担ぎ、みんながこれを叩いて村中を回って、無病息災・村中安泰を盛大に祈願しました。
今もなお土地の人々に信仰されています。
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