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2026年03月26日(木) 06時11分 byくし

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宗派
郵便番号
ご由緒
編集後
元禄十六年(1703)十一月、この地を開拓した16人が、大黒天石像を造立し奉幣したのを発祥とする。
明治十二年(1879) 信徒総代小林竹次郎の時、大国神社と改め大国主命を祭神とした。
平成六年(1994)三月、町道幹線六号線拡幅のため旧社地篠塚大黒1347-1番地から現在地篠塚大黒1352-3番地に、十九夜月待塔と庚申塔とともに遷座。
発祥以来、地区の幸福と発展を祈願し鎮守の神として永年にわたり神徳されてきた。
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【もう一つの大黒天縁起】
この神社には、石造の大黒天と木造の大黒天が並べて祀られている。木造大黒天については以下のような縁起も伝わる。
この神社のある字大黒は、旧石器時代から縄文時代・古墳時代の遺跡とされており、古い時代から人間が生活していた。
昔、この土地の人が畑を耕していて木彫りの大黒様を見つけた。
掘り出した人は、縁起の良い福の神を一人で家に飾っておくにはもったいないと考え、村人と相談し祠を建てて本尊として祀ることにした。
現在祀られている木彫りの御本尊が最初に見つかったものかどうかは定かではないが、いつの時代かに木彫りの大黒様も石の大黒様と一緒に祀られるようになったという。
そして、大黒様のいるところということで、いつしかこの辺りの字名も「大黒」と呼ぶようになった。
(広報おうらより 一部編集)
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※古墳時代には、まだ仏教の大黒天の概念は日本に入ってきていないので、掘り出された大黒天像と遺跡に関係はないと思うのだが、まるで強調するかのように併記されていたのでそのまま引用しました。
※社名の読みが「だいこく」なのか「おおくに」なのか不明。
字名が「大黒」なのと、神像が明らかに七福神の大黒天像であり、おそらく明治の神仏判然令前は、ここの神様に大国主命的なイメージなどはなかったであろうと考え「だいこく」の方を採用しました。
メールアドレス
ご祭神/ご本尊
編集前
《主》大黒天
《堂宇》十九夜如意輪観音
《諸尊》青面金剛・馬頭観音
編集後
《主》大国主命
《合》大黒天
《堂宇》十九夜如意輪観音
《諸尊》青面金剛・馬頭観音
見所
編集後
この地を開拓した人々造った石の大黒様と、畑から掘り出された木の大黒様を祀る神社
この辺りの字名も神社にちなんで「大黒」となっている
参拝時間
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駐車場
トイレ
参拝所要時間
参拝料
山号
院号
創立
編集後
元禄十六年(1703年)
創始者/開山・開基
編集後
当地を開拓した16人
中興の祖
Restored time
本殿/本堂の建築様式
社格
巡礼
行事
文化財
ご神体
編集後
大黒天の石像・木像
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