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2026年03月28日(土) 16時03分 byくし
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南北朝時代の正平二年(1347)新田義貞一族の武将 細谷右馬助秀国は、この地に居住するにあたり丹後国与謝郡府中にある籠神社(伊勢神宮・豊受大神の本宮)から分霊を祭って鎮守とし、翌三年には籠宮山観音院泉福寺を建立して戦乱に散った一族家人の冥福を祈りました。 以来、籠宮神社と泉福寺は坪谷、水立、大黒中の教化と信仰の中心となり、江戸時代の安永二年(1773)正月には京都から伏見稲荷を泉福寺へ勧請して農民生活の守護神と仰ぎにぎやかな祭礼が行なわれて来ました。 明治維新の神仏分離令によって稲荷神社は泉福寺から離れて西隣の籠宮神社に移され、社屋は青年集会所となりました。 昭和十三年(1938)に現在の社殿を新築して社号を稲荷神社とし、奥殿に籠宮大明神と稲荷大明神を安置奉祭しました。 昭和四十一年(1966)二月十一日泉福寺は焼失しましたが、神社は難をのがれ寺跡には現在の集会所が建設され古来変りなく坪谷、水立、大黒中の人々のふれ合いの場となり伝統的文化と信仰が受け継がれています。 (神社由緒碑より) ―――――――――――――― 【細谷右馬助秀国】 清和源氏新田一族で、新田氏五代政氏の長男 国氏の孫で、八代 新田義貞のはとこにあたる。 国氏は長男で 元弘三年(1333) 新田義貞が鎌倉幕府討伐の旗揚げをすると、新田一門として秀国も参加。 鎌倉滅亡後の建武二年(1335) 足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻し建武の乱が勃発。 箱根竹ノ下合戦、京都攻防戦で敗れた尊氏が九州に敗走すると、この機に足利方の勢力を一掃するため、細谷秀国は畑六郎左衛門時能とともに北陸道に差し向けられる。 ところが秀国が北陸道の備えに当たっている間に、九州で勢いを盛り返した尊氏が京都に逆襲。 秀国はその後も義貞に従い各地を転戦するも、義貞が越前国藤島城で討ち死にすると行方不明となる。 しかし当地に伝わる伝承では、藤島城から若狭湾を船で渡って丹後国与謝郡府中に落ち延びたと伝わる。 正平二年(1342) 密かに上野国邑楽郡佐貫荘篠塚に帰還した秀国は、出家して弘林と号し、泉福寺を建立し、丹後の元伊勢籠神社から奉じてきた神霊を祀り、新田一門を始めとする戦乱で散っていた者たちの菩提を弔いながら生涯を終えたという。
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南北朝時代の正平二年(1347)新田義貞一族の武将 細谷右馬助秀国は、この地に居住するにあたり丹後国与謝郡府中にある籠神社(伊勢神宮・豊受大神の本宮)から分霊を祭って鎮守とし、翌三年には籠宮山観音院泉福寺を建立して戦乱に散った一族家人の冥福を祈りました。 以来、籠宮神社と泉福寺は坪谷、水立、大黒中の教化と信仰の中心となり、江戸時代の安永二年(1773)正月には京都から伏見稲荷を泉福寺へ勧請して農民生活の守護神と仰ぎにぎやかな祭礼が行なわれて来ました。 明治維新の神仏分離令によって稲荷神社は泉福寺から離れて西隣の籠宮神社に移され、社屋は青年集会所となりました。 昭和十三年(1938)に現在の社殿を新築して社号を稲荷神社とし、奥殿に籠宮大明神と稲荷大明神を安置奉祭しました。 昭和四十一年(1966)二月十一日泉福寺は焼失しましたが、神社は難をのがれ寺跡には現在の集会所が建設され古来変りなく坪谷、水立、大黒中の人々のふれ合いの場となり伝統的文化と信仰が受け継がれています。 (神社由緒碑より) ―――――――――――――― 【細谷右馬助秀国】 清和源氏新田一族で、新田氏五代政氏の長男 国氏の孫で、八代 新田義貞のはとこにあたる。 国氏は長男で 元弘三年(1333) 新田義貞が鎌倉幕府討伐の旗揚げをすると、新田一門として秀国も参加。 鎌倉滅亡後の建武二年(1335) 足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻し建武の乱が勃発。 箱根竹ノ下合戦、京都攻防戦で敗れた尊氏が九州に敗走すると、この機に足利方の勢力を一掃するため、細谷秀国は畑六郎左衛門時能とともに北陸道に差し向けられる。 ところが秀国が北陸道の備えに当たっている間に、九州で勢いを盛り返した尊氏が京都に逆襲。 秀国はその後も義貞に従い各地を転戦するも、義貞が越前国藤島城で討ち死にすると行方不明となる。 しかし当地に伝わる伝承では、藤島城から若狭湾を船で渡って丹後国与謝郡府中に落ち延びたと伝わる。 正平二年(1342) 密かに上野国邑楽郡佐貫荘篠塚に帰還した秀国は、出家して弘林と号し、泉福寺を建立し、丹後の元伊勢籠神社から奉じてきた神霊を祀り、新田一門を始めとする戦乱で散っていた者たちの菩提を弔いながら生涯を終えたという。 ―――――――――― 【坪谷ふるさと祭り(稲荷神社大祭)】 2年に1度、9月第1土曜日に開催。 祈祷などの神事はなく、お神楽上演・カラオケ・子供八木節・フラダンス・婦人会の踊り・ビンゴゲーム等のお楽しみ会を行う賑々しいものとのこと。