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2026年05月16日(土) 16時39分 byくし
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国道122号線沿いに鎮座。 民家の塀に囲まれ、屋敷神のように見えるが正面は開かれている。 富士講の神社、すぐ近くの菅原神社横に富士塚がある。また東に800mほど行った八幡宮前にも富士塚がある。 石打地区全体の神社の総評として、以下のような興味深い話が伝わっている。 【合祀を拒んだ石打の神々】 大正末から昭和初期にかけて、石打には神社がたくさんあるので合祀しようという声が上がり、相談が始まった。 ところがその年の夏、石打に伝染病が蔓延し死人が出る騒ぎになり、合祀の話は立ち消えとなった。 そのため石打では元旦祭を初め、2月に社氏稲荷の初午祭り、4月に菅原神社・八王子神社・諏訪神社の春祭り、7月に八坂神社の祇園夏祭り、10月に菅原神社・八王子神社の秋祭りと、神社ごとに祭礼を行っている。 他に、石打には屋敷稲荷とは別に何々家の神様というのがあり、石打では大小数えると神社が9社前後もある。(おそらく地区や村単位ではなく、家筋ごとに鎮守社が決まっているという意味だと思われる) 合祀の話はそのままとなり、今でも昔のままに村祭りを行っている。
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国道122号線沿いに鎮座。 民家敷地内にあるが、生垣で民家の庭とは隔てられており、向きも家側ではなく道路の方を向いているため、屋敷神ではなく公共の神社。 創建年代は境内の石碑の記年より推測。 富士講の神社と思われる。この辺りは富士講が盛んだったようで、すぐ近くの菅原神社や東に800mほど行った八幡宮前にも富士塚がある。 石打には地域の鎮守社がなく、小字や特定の家筋などより狭い範囲で守護神や氏神を奉じていたので、富士講がそれをカバーするような形で地域の信仰連帯として機能していたのではないかと思われる。
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《主》木花咲耶姫
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《主》木花咲耶姫 《配》信登和妣命霊
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石打の神様は合祀を嫌がったので、地区内に多くの単独神社が現存。
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国道122号線沿いに建つ富士講の小社
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不詳 おそらく江戸後期
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不詳 少なくとも大正九年(1920年)以前
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不詳
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当地の富士講