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2026年05月06日(水) 04時37分 byくし

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名前
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長良神社(千代田町瀬戸井)
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瀬戸井長良神社(長良神社総本宮)
ふりがな
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ながらじんじゃ
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せどいながらじんじゃ(ながらじんじゃそうほんぐう)
通称
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長良神社本宮
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総社長良神社
ご由緒
編集前
藤原長良は、東国平治のため当地に下向し、衆庶を憐み善政を敷いた。
任期が満了し帰京後薨去し、貞観十一年三月十八日 大和国春日神社の末社に列祀す。
邑楽郡でもその恩徳を慕って神として祀るようになった。
当社は貞観十一年(869年) 邑楽郡赤岩城主 赤井良遠が勧請し、社殿を造営、遷宮の式を行い郡中総鎮守としたのが祭祀の始まりといわれる。
その後、文明年間より当社から新田・邑楽群各地に分社するものが多く、当社を邑楽郡長良社の総本宮と称するようになった。
――――――――――
【十八長良伝説】
赤岩の東隣り、瀬戸井北の大沼に大蛇が棲んでいて、利根川に水を呑みに現れたり、ときどき娘を攫ったりして村人を苦しめていた。
「都から長良様という偉いお方が桐生にお出でになっていなさる」と、人伝てに聞いた里人は、長良に大蛇退治を頼みこんだ。
長良は、御殿女中(ごてんじょちゅう)で弓の名手の おさよ殿に大蛇の両目を射させ、なおも抵抗する大蛇を刀で十八切りにし、頭を瀬戸井に、その他を近郷に分け与えた。
これに感激した里人は長良様を祀るようになった。「十八長良」の由来であるという。        
編集後
藤原長良は、東国平治のため当地に下向し、衆庶を憐み善政を敷いた。
任期が満了し帰京後薨去し、貞観十一年三月十八日 大和国春日神社の末社に列祀す。
邑楽郡でもその恩徳を慕って神として祀るようになった。
当社は貞観十一年(869年) 邑楽郡赤岩城主 赤井良遠が勧請し、社殿を造営、遷宮の式を行い郡中総鎮守としたのが祭祀の始まりといわれる。
その後、文明年間より当社から新田・邑楽群各地に分社するものが多く、当社を邑楽郡長良社の総本宮と称するようになった。
――――――――――
【十八長良】
赤岩の東隣り、瀬戸井北の大沼に大蛇が棲んでいて、利根川に水を呑みに現れたり、ときどき娘を攫ったりして村人を苦しめていた。
「都から長良様という偉いお方が桐生にお出でになっていなさる」と、人伝てに聞いた里人は、長良に大蛇退治を頼みこんだ。
長良は、御殿女中(ごてんじょちゅう)で弓の名手の おさよ殿に大蛇の両目を射させ、なおも抵抗する大蛇を刀で十八切りにし、頭を瀬戸井に、その他を近郷に分け与えた。
これに感激した里人は、大蛇の体が鎮められた地に長良様を祀るようになった。これが「十八長良」の由来であるという。
――――――――――
【十八長良異伝】
一説によると、長良が大蛇の体を分け与えて鎮めた場所は、大蛇の犠牲になったり、人柱に出された娘たちがいた地だったと云われている。 
電話番号
編集後
0276-86-2329
ご祭神/ご本尊
編集前
《主》天照大御神
《配》藤原長良
《合》誉田別命・菅原道真・木花開耶姫命
《御嶽塚》御嶽三柱大神・天御中主・豊斟渟尊・国狭槌尊
《摂末社》猿田彦大神・千勝大神・他
編集後
《主》天照大御神
《配》藤原長良
《合》誉田別命・菅原道真・木花開耶姫
《合祀社》祭神不明(幣束七柱)・稲荷神
《境内社》須賀神社(須佐之男命)
《御嶽塚》御嶽三柱大神(天御中主尊・高皇産巣日尊・神皇産巣日尊)・豊斟渟尊・国狭槌尊・日本武尊・稲倉魂命・嶽國霊神・長心霊神
《摂末社》猿田彦大神・千勝大神・他
見所
編集前
新田・邑楽郡に散在する長良神社の本宮にして、かつての佐貫荘総鎮守
藤原長良が大蛇を退治したという、大沼のあった瀬戸井に建つ
邑楽郡各地の長良神社の大半はここから分霊されたと云われ、そのうち代表的なものは「十八長良」と呼ばれている
編集後
「鶴舞う形の群馬県」の、鶴の頭と首にあたる地域に多数分布する長良神社の総本宮にして佐貫荘総鎮守
藤原長良が大蛇を退治したという大沼のあった瀬戸井に建つ
邑楽郡各地の長良神社の大半はここから分霊されたと云われ、そのうち特に長良が大蛇の身体を切り分けて鎮めた地に建つ長良神社を「十八長良」と呼ぶ。
しかし残念ながら無人社であり、現在は十八長良の一つである千代田町下中森の長良神社の兼務社である