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2026年04月01日(水) 02時32分 byくし

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ご由緒
編集前
藤原長良は、東国平治のため当地に下向し、衆庶を憐み善政を敷いた。
任期が満了し帰京後薨去し、貞観十一年三月十八日 大和国春日神社の末社に列祀す。
邑楽郡でもその恩徳を慕って神として祀るようになった。
当社は貞観一一年(869年) 邑楽郡赤岩城主 赤井良遠が勧請し、社殿を造営、遷宮の式を行い郡中総鎮守としたのが祭祀の始まりといわれる。
その後、文明年間より当社から新田・邑楽群各地に分社するものが多く、当社を邑楽郡長良社の総本宮と称するようになった。
――――――――――
【十八長良伝説】
赤岩の東隣り、瀬戸井北の大沼に大蛇が棲んでいて、利根川に水を呑みに現れたり、ときどき娘を攫ったりして村人を苦しめていた。
「都から長良様という偉いお方が桐生にお出でになっていなさる」と、人伝てに聞いた里人は、長良に大蛇退治を頼みこんだ。
長良は、御殿女中(ごてんじょちゅう)で弓の名手の おさよ殿に大蛇の両目を射させ、なおも抵抗する大蛇を刀で十八切りにし、頭を瀬戸井に、その他を近郷に分け与えた。
これに感激した里人は長良様を祀(まつ)るようになった。「十八長良」の由来であるという。        
編集後
藤原長良は、東国平治のため当地に下向し、衆庶を憐み善政を敷いた。
任期が満了し帰京後薨去し、貞観十一年三月十八日 大和国春日神社の末社に列祀す。
邑楽郡でもその恩徳を慕って神として祀るようになった。
当社は貞観十一年(869年) 邑楽郡赤岩城主 赤井良遠が勧請し、社殿を造営、遷宮の式を行い郡中総鎮守としたのが祭祀の始まりといわれる。
その後、文明年間より当社から新田・邑楽群各地に分社するものが多く、当社を邑楽郡長良社の総本宮と称するようになった。
――――――――――
【十八長良伝説】
赤岩の東隣り、瀬戸井北の大沼に大蛇が棲んでいて、利根川に水を呑みに現れたり、ときどき娘を攫ったりして村人を苦しめていた。
「都から長良様という偉いお方が桐生にお出でになっていなさる」と、人伝てに聞いた里人は、長良に大蛇退治を頼みこんだ。
長良は、御殿女中(ごてんじょちゅう)で弓の名手の おさよ殿に大蛇の両目を射させ、なおも抵抗する大蛇を刀で十八切りにし、頭を瀬戸井に、その他を近郷に分け与えた。
これに感激した里人は長良様を祀るようになった。「十八長良」の由来であるという。        
創立
編集前
貞観一一年(869年) 
編集後
貞観十一年(869年)