おうしょうじ|時宗|館林山
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応声寺の編集履歴
2022年05月11日 15時19分
ふりがな
おうしょうじ
ご由緒
鎌倉時代末、徳治元年(1306)遊行寺二代真教が長福寺という念仏道場を内伴木付近に建てのがはじまりという。榊原康政が城郭拡張のさい城下・鞘町へ移転させる。さらに綱吉時代・延宝年間(1673〜81)木挽町へ移転。
応声寺は館林築城以後、城下町に時を知らせることを担当した寺。天和3年(1683)廃城の際、綱吉時代の時鐘を下賜された。鐘は県重要文化財として保存されている。寺名は初め長福寺。徳川吉宗の長子(家重)の幼名が長福丸。これを避け、時報担当の寺、応声寺に改めたという。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀三尊
山号
館林山崎
文化財
館林城鐘(群馬県指定重要文化財)
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