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2026年05月14日(木) 01時38分 byくし

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ご由緒
編集前
昔、中野村の裏宿一帯は広い森林で人は住んでいなかったが、鎌倉時代の文永二年(1265年)頃から千原田(郷社長良神社付近)の幾人かの人たちが開墾して移り住み新屋敷(字名)を作りはじめた。
開墾は大変で、時には斬り倒した樹木の下敷きになって大けがをしたり、疫病が流行して次々と大病を患う人が出たり、人々は悪魔の祟りではないかと恐れていた。
その頃、どこからともなく一人の修験者がやってきたので、人々は藁にもすがる思いで厄払いの祈祷をお願いした。修験者はこの様子を見て同情し、この災難を払うため昼夜を分かたず一心不乱に祈祷を続けた。
すると、寝ていた病人達は快方に向かい、新しい病人も出なくなり、疫病は収まり、それからは平穏に過ごすことができたという。
それから人々は、修験者が山岳信仰の根本山神の先達(信仰・巡礼の案内役)だったことを突きとめ、上州(群馬県)と野州(栃木県)の境にある根本山神社の分霊を請け迎え、新屋敷に祀って守護神とした。
―――――――――
※新屋敷の開墾が始まったのは鎌倉時代とされているが、一般に根本山信仰が広まったのは江戸時代初期頃からなので、神社の由来に纏わる上記の逸話はそれ以降のものと思われる。
編集後
昔、中野村の裏宿一帯は広い森林で人は住んでいなかったが、鎌倉時代の文永二年(1265年)頃から千原田(郷社長良神社付近)の幾人かの人たちが開墾して移り住み新屋敷(字名)を作りはじめた。
開墾は大変で、時には斬り倒した樹木の下敷きになって大けがをしたり、疫病が流行して次々と大病を患う人が出たり、人々は悪魔の祟りではないかと恐れていた。
その頃、どこからともなく一人の修験者がやってきたので、人々は藁にもすがる思いで厄払いの祈祷をお願いした。修験者はこの様子を見て同情し、この災難を払うため昼夜を分かたず一心不乱に祈祷を続けた。
すると、寝ていた病人達は快方に向かい、新しい病人も出なくなり、疫病は収まり、それからは平穏に過ごすことができたという。
それから人々は、修験者が山岳信仰の根本山神の先達(信仰・巡礼の案内役)だったことを突きとめ、上州(群馬県)と野州(栃木県)の境にある根本山神社の分霊を請け迎え、新屋敷に祀って守護神とした。
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※新屋敷の開墾が始まったのは鎌倉時代とされているが、一般に根本山信仰が広まったのは戦国末~江戸時代初期からなので、上記の神社縁起は江戸時代に起こった出来事と思われる。
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