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2025年02月05日(水) 15時16分 byくし

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ご由緒
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宝暦8年(1758年) 道了堂が修造される。
昭和33年(1958年) 道了堂基礎改修工事
小田原の大雄山最乗寺との古くからの縁により、東大平山(通称道了山)山腹に道了尊が祀られた。
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宝暦8年(1758年) 道了堂が修造される。
昭和33年(1958年) 道了堂基礎改修工事
小田原の大雄山最乗寺との古くからの縁により、東大平山(通称道了山)山腹に道了尊が祀られた。
(寺院HPより)
天正の時代、第7世の中興源室永高様がこの地に長林寺を移創された頃は、関東地方ではまだ血なまぐさい戦乱が続いておりました。
その上に干ばつと飢餓、洪水に疫病と繰り返す天災人災の世に、住民たちはそれこそ塗炭の苦しみにあえいでいたという。 その時分、この地域もちょうど日照りが続いていて山内の水は涸れ、門前の農家の方々も飢餓に瀕していたという。
何故か、おどろおどろと鳴動を続ける東大平山、修行を行っていた衆僧たちのなかにも病人が相次ぎ、禅師さまのお心は大変お痛みであった。
ところが、ある夜のことそうした禅師さまの夢枕に道了さまが現われ...
「われは道了大菩薩なり。汝、源室よ 最乗輪番の身をもって我を忘るることなかれ。汝、速やかに東大平山・岩富士のもと、寺を臨みて我を祀るべし。
しからば鳴動治まりて山下千古の水を湧出せしめん。箱根の水なり」と申されたそうでございます。
またさらに、山内の疫病のために「爾今毎朝、梅干三個を食すべし」と申されて、姿を消されたそうです。
道了さまのお姿は、白髪・白髭・白衣であったとのことですが、これは山川の地域の鎮守で白髭神社にも通い、また箱根権現にも通う言い伝えです。
箱根権現と申すのは、最乗寺の権現水をくださった神で、恵明禅師の夢枕に立たれたといわれております。
さて、源室禅師さまは夢より覚め給うや、はたと膝をたたかれまして、早速に最乗寺に拝登されまして、道了さまを拝請なされたという。東大平山岩富士のもとに一宇を建立され道了様をお祀りいたしましたところ、たちまちに鳴動はやみ、山麓より泉が湧き出し約一畝に及ぶ猿ヶ池湿地帯が現出したのでございます。
以来400年間、どのような日照りにも涸れることなく、また権現池より西の水が白濁し、鉄分が多く洗濯にも向かない悪水だったが、この水だけは清く
澄みきった水であったとのこと。
この水脈は東大平山沿いに、国道(現在の県道)近くまで清冽な水を流していたといわれてますが、寺でも戦前までは、この水を筧で引いて使っておりましたし、徳川末期にはこの水を本堂裏の瓢箪池に落としていたという。
(住職旧ブログより)
Introduction
創始者/開山・開基
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不詳
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源室永高
本殿/本堂の建築様式
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かけ造り
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掛け造り