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2026年05月16日(土) 04時26分 byくし

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ご由緒
編集前
両野三十三観音霊場という、観音霊場の第三番札所。
両野三十三観音は、宝暦4年(1754円)開創の古い観音霊場で、下野(栃木)・上野(群馬)の二国に跨がる霊場のため「両野」という。
栃木県の足利市羽刈町の慶性寺を第一番発願とし、群馬県に入り邑楽町━大泉町━太田市とひらがなの「の」の字を画くように巡り、再び足利に戻り高松町の長昌寺を第三十三番結願の寺とする。
この観音堂のある千原田向地は、矢場川が大きく蛇行してできた特異的な「巾着地形」となっており、天然の要害を利用した中世武家居館跡がある。
観音堂はもともと「巾着の口」の反対側の赤谷戸という所にあったが、河川改修等で現在地に移された。
編集後
両野三十三観音霊場という、観音霊場の第三番札所。
両野三十三観音は、宝暦4年(1754円)開創の古い観音霊場で、下野(栃木)・上野(群馬)の二国に跨がる霊場のため「両野」という。
栃木県の足利市羽刈町の慶性寺を第一番発願とし、群馬県に入り邑楽町━大泉町━太田市とひらがなの「の」の字を画くように巡り、再び足利に戻り高松町の長昌寺を第三十三番結願の寺とする。
この観音堂のある千原田向地は、矢場川が大きく蛇行してできた特異的な「巾着地形」となっており、天然の要害を利用した中世武家居館跡がある。
観音堂はもともと「巾着の口」の反対側の赤谷戸という所にあったが、河川改修等で現在地に移された。
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【千原田の地名由来】
八幡太郎義家の奥州征伐の時、義家の家来の千原田小太郎基房という武将がこの辺りで休息をしたという。
その時、里人が好意をもって基房を歓待したので、基房は大変喜んで出立していった。
以来、千原田基房の姓にあやかり、この地を千原田と呼ぶようになった。
後に、新田義貞の家臣 中野景春が、この地に巾着地形を利用した砦を築き、基房と同じ名を持つ千原田小太郎という武士に守護させた。
この砦を「山ノ内」といい、巾着地形内の原生林の中に遺構が残るという。
中興の祖
Restored time
社格