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とくがわとうしょうぐう

徳川東照宮のお参りの記録(1回目)
群馬県世良田駅

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御朱印ハンター
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投稿日:2025年01月19日(日)
参拝:2025年1月吉日
歴史・沿革
 徳川氏始祖得川義季(世良田義季)公から八代目である親氏公は、南北朝の戦いで室町幕府による新田氏残党追捕の幕命により新田之庄を出国せざるをえなくなります。
得川郷(徳川郷)の生田隼人は、親氏公の出国時に銭一貫文と品物を餞別とし、郷内の百姓とともに中瀬(現 埼玉県深谷市)までお見送りをしました。
 その時に親氏の領地を預けられたことで、以後生田家が徳川郷主となります。親氏はその後、三河国の松平郷(現 愛知県豊田市松平町)に流れ着き、松平親氏として、そこを拠点としました。また、松平親氏は八幡神社松平東照宮に徳川家康とともに祀られています。

  天正十九年(1591年)、徳川郷主生田家十六代生田義豊は、武州川越(現 埼玉県川越市)で徳川家康に拝謁し、「新田徳川系図」の提出と生田姓から正田姓への改めを命じられる。 同年十一月には、家康公より徳川郷へ三百石の御朱印を寄進、正田家に徳川遠祖の御館跡を子孫末代まで居屋敷として所持してよいと仰せつけられました。

  寛永二十一年(1644年)世良田東照宮勧請にともない、十八代正田義長は邸内に私的な東照宮を建立しました。これが徳川東照宮の始まりといわれています。この正田邸内に建立された東照宮への参拝は四月十七日と正月のみ庶民に許可されました。祭祀は正田家が執り行っていました。

 その後、明治五年(1872年)に邸内社であった東照宮の社地を徳川郷に寄進され、村社に列せられた。明治四十年(1907年)十一月六日、郷内四社各末社が合祀されたことにより、徳川郷の鎮守として改めて崇敬されるようになりました。
大正三年(1924年)六月三日、徳川郷内の医王山永徳寺より「権現堂」を移築、それを拝殿とし現在に至ります。
徳川東照宮(群馬県)
徳川東照宮です。
徳川東照宮(群馬県)
読めないぐらい歴史を感じます。
徳川東照宮(群馬県)
鳥居⛩️です。
徳川東照宮(群馬県)
本殿です。
徳川東照宮(群馬県)
手水舎ですが枯れてます
徳川東照宮(群馬県)
徳川東照宮(群馬県)
本殿の裏の御神木?なのか
徳川東照宮(群馬県)

すてき

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