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2025年01月25日(土) 23時47分 byくし
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賀茂神社
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龍舞賀茂神社
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りゅうまいかもじんじゃ
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社伝によれば、貞観3年(861)に藤原長良が京都の賀茂神社を分霊勧請し創建したと伝えられている。 雷命を祀り末社二十余社を数へり その由来は社殿及び園田文書によれば、同年 武蔵羽生で賊徒が反乱を起し東国大いに乱れるに及び、当時上野国司として国府在城の長良公に勅命を下しこれを誅伐させた。 この折、長良公が京都の賀茂明神に戦勝を祈願し、当地に出陣し利根川を前の備えとして長蛇の陣を敷いた。 その際、四霊の神すなわち青龍、白虎、朱雀、玄武の神旗を龍舞の地を中心に四方に高々と建てて対陣した。そのうち青龍の神旗が風になびき龍形となって雲に至り、激しい雷雨となって敵陣を襲い賊を平定したと伝わる。 この雷電の加護を感じ、青龍の旗を立てた当地に神社を創建。 例祭時に境内中央に四神霊の旗を建てるのはこれに由来するという。 その後、江戸時代の中期の天明七年八月一日(1787)霊験極めてあらたかなるため正一位の位記を宣下され、明治五年十一月郷社に列せられる。 【萬燈祭】 300年の歴史を持つ当社に伝わる祭礼。 萬燈祭(まんどうまつり)の由来は、地域の伝承では、天保の飢饉の際、京都方面からの流浪人が龍舞村(現龍舞町)にたどり着き、龍舞賀茂神社が京都の賀茂神社の御分霊を勧請したものであることを知り、京都で奉納されていた萬燈をこの地でも奉納することを村人に相談し、天保8年(1837)に奉納したのが始まりといわれています。 以来、この祭は、五穀豊穣・村内安全・繭の増収などを祈って行われてきました。 祭は、龍舞町の各コウチで製作した十数基の萬燈を賀茂神社に奉納し、神社境内や神社の南に南北に延びる通りで、萬燈を担ぎ振り回します。これを「振り込み」と呼びます。萬燈には、高さ3m、重さが約60kgある大萬燈(1基)と、高さ2.3m、重さ約15kgの小萬燈(13基ほど)があります。各萬燈は、木製の主柱の上部に上毛三山(赤城山・榛名山・妙義山)になぞらえた花飾りを配置し、島台には伝統的な装束を着けた人形が置かれ、その下部に燈籠を付け、島台と燈籠の間には長い竹ひごを多数(大萬燈32本、小萬燈16本)さして回りに垂らし、全体のバランスをとっています。これらの萬燈が通りに並んで振り込みが行われる様子は壮観といえます。 奉納後は、萬燈の花ヒゴをもらい、家の入口などに差すという風習があります。 現在、この祭は龍舞萬燈保存会によって保存・継承されており、毎年4月の第2日曜日に本祭(振り込みは夕方6時30分ごろから2時間ほど)が、その前日には前夜祭が行われています。
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《合》櫛御気野命,菊理比咩神,豊城入日子命,大直日命,大穴牟遅神,素盞嗚命,宇迦之御魂神,誉田別尊,菅原道真,市寸島姫命,《主》別雷神
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《主》別雷神 《合》櫛御気野命・菊理比咩神・豊城入日子命・大直日命・大穴牟遅神・素盞嗚命・宇迦之御魂神・誉田別尊・菅原道真・市寸島姫命
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https://www.city.ota.gunma.jp/page/4387.html
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藤原長良創建と伝わる古社。 龍舞の地名は長良公が賊討伐時に立てた青龍の旗に由来。 4月に300年の歴史を持つ萬燈祭という祭りが行われる。
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貞観3年(861年)
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藤原長良
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4月第2土曜日 萬燈祭(前夜祭) 4月第2日曜日 萬燈祭(本祭)
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萬燈祭 (群馬県指定重要無形民俗文化財)