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2026年05月19日(火) 01時44分 byくし

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ご由緒
編集前
資料が見つからず詳細不明。
この渋沼は小さい集落にも関わらず、石打字渋沼と藤川字渋沼という二つの大字に別れており、石打の鎮守は砂田稲荷と阿弥陀堂。藤川の鎮守は八幡宮と観音堂と、信仰区分もやや複雑となっているらしい。
「渋沼」の地名は、鉄分を多く含んだシブ色(赤錆色)河川や沼、あるいは水捌けの悪い沼沢地に由来するそうで、少ない居住地や耕地を巡る相剋があったのではないかと偲ばれる。
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渋沼集落には以下のような仏教説話も伝わる
【弘法大師の蚊封じ】
昔、弘法大師が赤岩(千代田町)に来て真言宗の教えを説き、今の光恩寺をお開きになったそうです。
大師はあちこちを布教して回り、たまたま渋沼に差し掛かった時に夜になってしまいました。
このこき一夜の宿を提供した家がありました。夏のことで蚊がたくさんいて寝苦しかったのでしょう。
翌日、大師はお礼に「この家に蚊が出ないようにしてあげましょう」と言って蚊封じの祈祷をしてくださいました。それからは蚊が出なくなったと伝えられています。
戦後間もない昭和27年ごろも蚊が少なくあまり蚊帳を吊りませんでした。弘法大師の御利益が昭和の時代まで続いたということでした。
(広報おうらより)
編集後
資料が見つからず詳細不明。
この阿弥陀堂は石打側の守り本尊である。
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【二つの鎮守を持つ渋沼集落】
この渋沼は集落の中を、石打地区と藤川地区の境界が通っており、ごく小さな集落にも関わらず、それぞれ地区に属する二つの鎮守社と守護堂を持つ。
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この阿弥陀堂と直接関係があるかは不明だが、渋沼には僧侶の入定伝説があり、僧が唱えていたのが念仏なので以下に記す。
【病田】
昔、渋沼と沖之郷(隣村 現太田市)に悪病が蔓延していた時、たまたま越後(新潟県)の方から一人の修行僧が渋沼の里を通りかかった。
僧は、渋沼の家々に病人がいるのを見て、自分の身に代えて難渋する村人を救う覚悟をした。
僧は、村人の見守る前で野原に自分の体が入る穴を掘り始め、やがて穴が掘りあがると、身ぐるみの姿でこの穴に入った。
僧は水も飲まず食も摂らず断食をして一心不乱に悪病退散の念仏を唱えていたが、力尽きそのまま成仏してしまった。 すると、あんなに苦しんでいた病人達が元気を取り戻した。
僧が成仏した場所の周りの田を「病田(やまいだ)」と呼び、行人塚には僧の遺体と錫杖がそのまま埋没しているらしいと語り伝えられている。
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※行人塚、病田の位置については未確認。
見所
編集前
渋沼集落のうち大字石打の鎮守様。
編集後
渋沼集落のうち大字石打の守り本尊