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2026年05月19日(火) 01時58分 byくし

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ご由緒
編集前
資料が見つからず詳細不明。
渋沼公民館併設の観音堂。なお評柱含め「聖観音」ではなく「正観音」となっているが、単なる誤植なのか、何らかの意味があるのかは不明。
この渋沼は小さい集落にも関わらず、石打字渋沼と藤川字渋沼という二つの大字に別れており、石打の鎮守は砂田稲荷と阿弥陀堂。藤川の鎮守は八幡宮と観音堂と、信仰区分もやや複雑となっているらしい。
「渋沼」の地名は、鉄分を多く含んだシブ色(赤錆色)河川や沼、あるいは水捌けの悪い沼沢地に由来するそうで、少ない居住地や耕地を巡る相剋があったのではないかと偲ばれる。
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渋沼集落には以下のような仏教説話も伝わる
【弘法大師の蚊封じ】
昔、弘法大師が赤岩(千代田町)に来て真言宗の教えを説き、今の光恩寺をお開きになったそうです。
大師はあちこちを布教して回り、たまたま渋沼に差し掛かった時に夜になってしまいました。
このこき一夜の宿を提供した家がありました。夏のことで蚊がたくさんいて寝苦しかったのでしょう。
翌日、大師はお礼に「この家に蚊が出ないようにしてあげましょう」と言って蚊封じの祈祷をしてくださいました。それからは蚊が出なくなったと伝えられています。
戦後間もない昭和27年ごろも蚊が少なくあまり蚊帳を吊りませんでした。弘法大師の御利益が昭和の時代まで続いたということでした。
(広報おうらより)
編集後
資料が見つからず詳細不明。
この観音堂は藤川側の守り本尊である。
渋沼公民館併設の観音堂。なお地図表記や標柱には「聖観音」ではなく「正観音」と記載されている。
これに何らかの意味があるのか、単なる誤記なのかは不明。
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【二つの鎮守を持つ渋沼集落】
この渋沼は集落の中を、石打地区と藤川地区の境界が通っており、ごく小さな集落にも関わらず、それぞれ地区に属する二つの鎮守社と守護堂を持つ。
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この観音堂と直接関係があるかは不明だが、渋沼には弘法大師に纏わる以下のような伝説がある。
なお、渋沼には仏教説話としてもう一つ、入定僧の伝説があるが、そちらの話には念仏が出てくるため阿弥陀堂の方に記載した。
【弘法大師の蚊封じ】
昔、弘法大師が赤岩(千代田町)に来て真言宗の教えを説き、今の光恩寺をお開きになったそうです。
大師はあちこちを布教して回り、たまたま渋沼に差し掛かった時に夜になってしまいました。
このこき一夜の宿を提供した家がありました。夏のことで蚊がたくさんいて寝苦しかったのでしょう。
翌日、大師はお礼に「この家に蚊が出ないようにしてあげましょう」と言って蚊封じの祈祷をしてくださいました。それからは蚊が出なくなったと伝えられています。
戦後間もない昭和27年ごろも蚊が少なくあまり蚊帳を吊りませんでした。弘法大師の御利益が昭和の時代まで続いたということでした。
(広報おうらより)
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見所
編集前
渋沼集落のうち大字藤川の鎮守様。
編集後
渋沼集落のうち大字藤川の守り本尊