ほうらくじ|真言宗豊山派|八幡山
法楽寺の編集履歴
緯度
36.3706086
編集前:36.3665748
経度
139.3501261
編集前:139.3596288
ふりがな
ほうらくじ
住所
桐生市広沢町6丁目825
編集前:桐生市広沢町6-甲825
ご由緒
和銅元年、行基菩薩が諸国行脚の折り当地に立寄り小寺を造営し、仏像を安置して行ったとされこれが当寺の始まりと言われている。
その後、天喜5年(1057年)、藤原家、八幡太郎義家公は、朝廷の命に随わぬ奥州の阿部貞任と宗任の兄弟を討伐するため、藤原家の勢力圏内でもある当寺に立ち寄り戦勝祈願をし、長い戦いの末阿部兄弟を討伐し、康平元年(1058年)3月、戦勝のお礼参りのため上野の国広沢郷の賀茂神社と当寺前に舞台を造営して、法楽の舞を奏上したと言われている。
後にお供の周東刑部左ェ門は当地に残り、八幡太郎義家公の命により敵味方戦没者の慰霊のため、当寺を建て替え山号を八幡太郎の八幡を取り八幡山とし、寺号は法楽の舞を奏上したところから法楽寺と名付けた。
その後、元禄の始めに下野の国小俣の鶏足寺より祐伝法師を招請して法相宗より真言宗に移り大正まで護摩を焚き祈願道場でもあった。
又神社分離前の明治に至るまでは賀茂神社の別当であり、八幡山賀茂ノ坊法楽寺と称し、明治までこの名で呼んでいた。
当寺の本尊は千手観音立像であるが、十一面観音と三目八臂の不空羂索観音を合体させたような形を示す。製作時期は室町時代、又特殊な像容の像だが、県内では室町時代まで遡る作例は少なく、貴重な作例といえる。
ご祭神/ご本尊
《本尊》十一面千手観音
《御正体》毘沙門天・吉祥天・善風師童子
《堂宇》賓頭盧尊者
見所
賀茂神社の元別当寺
寺号は、賀茂神社で戦勝祈願をした八幡太郎源義家が、お礼参りで奉納した舞に因む。
寺院前には、法楽の舞が舞われたという舞台遺跡がある。
駐車場
境内前にあり
山号
八幡山
創立
和銅元年(708年)
創始者/開山・開基
(開基)祐伝法師 (開山)行基
巡礼
上州新四国八十八ヶ所霊場 第五十一番
東上州三十三観音霊場 第二十五番
行事
3月 彼岸会
8月13日 盂蘭盆会(迎え火)
9月23日 施餓鬼会
文化財
法楽寺御正体 (桐生市指定重要文化財)