かすがじんじゃ
春日神社のお参りの記録一覧
元亨三年(1323)新田義重公が大和圏春日宮から勧請し、新田家の崇敬社となっていました。
始めはやはり、金山城辺りにあったようですが、後に太田の総鎮守として現在の場所に移ったようです。
境内には各町の神輿庫があり総鎮守であったのがわかります。今でもお祭りの中心となっているんでしょうね。
新田神社の御朱印が無い時はこちらにあるそうです。実は御嶽神社の御朱印が品切れになっていて、こちらにあるかと思い来てみましたが、社殿の綺麗さに驚きまして、改めてお礼を申し上げました(≧∀≦)
手前に駐車場があります。
青空が綺麗
向拝の彩色が綺麗です。
品のある屏額です。
狛犬は新し目で異国風
由緒書き
本殿
本殿の造りは凝っていますね。
そして品がいい
後ろ側からの景色がまたいいね!
隣にも鳥居があります。
大鳥神社。太子堂、、
あまり聞いた事がないんですが、商売繁盛、職人の神様らしいのです。
灯籠が大きい!
神輿庫が並んでいます
木にスピーカーが付いてますね。
夕方の時間を知らせたりするんでしょうか。
気がつけば、白のさざんか
赤のさざんか、一本づつ植えられています。
書き置きの御朱印です。
街の中心。太田市の総鎮守です。車の入り口とは反対側に一の鳥居があります。
参道を進み、ほぼ敷地の中央で直角に二の鳥居が立っていります。街中の為か木々がなく全部見渡せる開放的な神社でした。台湾製のように思える狛犬も見事で、本殿の彫刻も一見の価値あり。境内社の大鳥神社も立派な社殿で、こちらだけでも成立するような神社でした。拝殿前に御朱印が用意されており、有難く拝受いたしました。兼務社の新田神社もありましたが、今回は登山はしたくなかったため次に機会に致しました。
社号標
一の鳥居
灯篭
二の鳥居
拝殿
狛犬
熊谷の赤城久伊豆神社の狛犬と似た雰囲気。台湾製かな?
扁額
本殿
本殿裏
書置きの御朱印
境内社 稲荷社
境内社
境内社 大鳥神社
扁額
灯篭
境内
さすがに今日は山登りで体力と時間を使ったので、あとは最低限のところだけ回ろうかと、まずは麓の春日神社を再訪。
この前参拝できなかった境内社の大鳥神社に参拝しました。
写真のようにこの大鳥神社だけ一際大きいので、春日神社に来てこちらを拝まないのはどうも片手落ちのようで気になってしまって(^^;
その他の摂社末社も見て回りましたが、ここのはどれも何らかの特徴があって興味深かったです。
大鳥神社前にあった牡丹?の飾りが着いた建物。
大きさから神輿殿かと思ったのですが、神輿を保管する倉庫みたいのは他にあったので、何の建物かは不明。
これは間違いなく稲荷社でしょう
青い石で作られた何かが祀ってありましたが、よく見たら大黒天でした。
金の幣束が祀られた社
これもよく見ると稲荷社の様子
一番小さな石祠。
こういう祠には何も入ってないか、簡素な幣束が祀られてる程度のことが多いですが、ここはちゃんと神鏡が祀られてました
太田市の総鎮守。
普通に南の市街地の方から観光的に来れば、金山とか子育て呑龍に行く通り沿いなのでまず間違うことはないと思いますが、今回は東の方からアクセスしたのでちょっと迷いました。
この辺、一歩裏に入ると一方通行の細い道が多くて(*_*;
門前にいくつか駐車場があるのですが、どうもこれは神社ではなく、入り口にある春日医院という病院のものらしい・・・同じ名前ですが病院と神社の関係は不明です。
仕方ないので少し先の鳥居付近の道が広くなってる所に駐車。
今回は時間がなくあまりゆっくり見れなかった。
帰る時に横に大鳥神社という大きめの摂社もあることに気付いたのですが、今回は参拝できず(´・ω・`)
春日神社と新田神社の書き置き。
1枚づつビニールで小分けされてて包装は丁寧です。
台風10号が沖縄、九州地方を通過している中、関東地方も天気が不安定で今にも雨が降りそうな雲が付近ありましたが、どうにかお参りする事が出来ました。
御朱印は連絡取っておくと貰えるそうでしたが、アポも取っていないので、貰っていませんので、また後日来たいと思いました。
歴史・沿革
鎌倉時代後期の元享三年(1323年)新田義重公が大和国(現 奈良県)春日宮より勧請しお祀りした新田家の崇敬社でありました。
その後、室町時代の応永五年(1398年)三月に旧城地より太田町に遷座し、太田町の総鎮守となりました。そもそも徳川幕府になった江戸時代までは春日山長光院金剛寺と言われて居りました。
奈良の春日大社は都の北東(鬼門)の方角に祭り皇室国家の守護神とされました。太田市の春日神社も同様に強い心と身体健全を叶え運を切り開く神様として、古くから厚い信仰があり、春日神社は日本全國に約一千社あり春日大社はその総本社にあたります。(由緒案内板より)
東武伊勢崎線太田駅から徒歩10分ちょいのところに居られます。
1323年新田義重公が建立し、新田家の崇敬社だったそうです。
その後、今の地に移られたそうで、太田の総鎮守となったそうです。
また、江戸時代までは春日山長光院金剛寺と呼ばれていたそうで
神仏習合だったのかな、と思われます。
御朱印は拝殿前に書置きがありました。
こじんまりとした境内ですが見どころがギュっと凝縮されているように感じました。
淡い彩色もいいですね
龍も良い感じの彩色です。
神社の拝殿で獏はあまり見たい気がします。
社殿も色鮮やかですね。
ちょっと大陸風なテイストの狛犬さん
目玉がぎょろりとしてますね。
ユーモラスな表情をしておられます。
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