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からいじんじゃ/ほのいかづちじんじゃ

火雷神社の御由緒・歴史
群馬県 伊勢崎駅

ご祭神《主祭神》
 火雷命
《配祀神》
 那波八郎
 保食命
 菅原道真
ご神体不詳
創建時代第10代崇神天皇元年の創建
創始者不詳
ご由緒

当神社は、上州名物と一つなっている雷の神様である火雷神を祀ってある。景行天皇の時代に上野国の統治者御諸別王が祀ったと伝えられ、平安時代の延暦一五年(796)官社となり、延喜の制では小社に列して上野十二社の八の宮として、上野国の延喜式神明帳に従一位火雷大明神とかかれている。
鎌倉時代の初め、延久二年(1191)大江広元の子政弘は那波氏となり、その後那波郡地方の領主となって四町歩の田を神社に献じた。天正年間那波氏の滅亡で神社も衰えたが明治五年(1872)郷社となった。
現在の建物は江戸時代の慶長以降の建造で本殿は三間社流造である。
また、伊勢崎市上之宮の倭文神社と相対し、その上上之宮に対し下之宮といわれ、地名起源ともなっている。
麦蒔ゴシンジ(御神事)=当神社に伝わる祭りで、貞観四年(862)より始まり毎年五穀豊穣災難除けの秘密の神事を行い今日まで伝え行っている、旧暦10月末午の日丑の刻に神官が礼拝を始めると代表が神社の四面に注連縄を張り、神官が退出する時に丁度張り終えるようにする。
代表は一週間精進潔斎し、注連縄を張り廻らす時は声を出すことは厳禁とされ11月初午の日丑の刻に祭りがあけるまでは鳴物は禁止(馬がいたときは鈴もはずした)であり、注連縄を張るのを「ゴシンジに入る」という。深夜に行われるこの神事は古代の祭りの様式の面影を伝えているように思われる。【境内由緒書きより】

歴史
歴史[編集] 創建[編集] 社伝では、第10代崇神天皇元年の創建という[1][2]。その後景行天皇(第12代)の代に東国に派遣された御諸別王(崇神天皇四世孫)も当社を祭祀したと伝える[1]。当社の奉斎氏族は、壬申の乱で功を成した佐味氏(佐味君)と考えられている[2]。 鎮座地の地名「下之宮」は、当社に由来するとされており、利根川を挟んで「上之宮」の倭文神社と対峙するが、中世の利根川変流まで両社は地続きであったという[3]。 概史[編集] 国史の初見は、『日本後紀』延暦15年(796年)に賀茂神社・美和神社とともに「那波郡火雷神」を官社と為すという記事である[4]。これら3神は、いずれ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報火雷神社 (玉村町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%81%AB%E9%9B%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%8E%89%E6%9D%91%E7%94%BA%29&oldid=99407693

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