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2025年02月17日(月) 21時32分 byくし
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足利忠綱終焉の地に立つ神社。 藤姓足利氏最後の当主、足利忠綱は平清盛に仕え宇治川合戦で大功を上げるも、恩賞への不満から東国に戻り一時源頼朝に仕える。 しかし一族の内紛、競合する源姓足利氏との確執等から、常陸で志田三郎先生義広が蜂起するとこれに加わるも野木宮合戦で敗北。 その後は上野国山上郷龍奥を経て西海に落ち延びるが消息不明となる(平氏に加わったとも、逆に源義経の平氏追討軍に加わったとも言われている) しかし鑁阿寺などに伝わる伝承では、足利に戻り源姓足利氏の足利義兼に匿われていたが、義兼妻の北条時子(北条政子の妹)との不義密通の疑いを掛けられ、皆沢に身を隠し自刃したとも義兼に討たれたとも伝わる。 後に事実無根と判明、忠綱の武勇を称え、また無念を鎮めるため当地に八幡宮として祀られた。 【忠綱公の最後とそれに纏わる当地のタブー】 足利氏館(鑁阿寺)から脱出した忠綱公は、追手を振り切り山中に入るも傷付き雪が血で真っ赤染まったため、この山を「赤雪山」と呼ぶようになった。 さらに山中に分け入り飛駒皆沢の郷についた忠綱公は、現在の八幡宮の所にあった大木の下に身を潜めて休むも、敵軍の率いてきた一頭の白犬に嗅ぎ付けられてしまい、遂に山鳥の羽の矢で射たれてしまう。 そのため皆沢郷では、白犬を飼うことと山鳥の羽毛を携えることを忌むようになった。 ときどき悪戯な子供などがこの禁を破ることがあるとたちまち災厄が起こったという。
編集後
足利忠綱終焉の地に立つ神社。 藤姓足利氏最後の当主、足利忠綱は平清盛に仕え宇治川合戦で大功を上げるも、恩賞への不満から東国に戻り一時源頼朝に仕える。 しかし一族の内紛、競合する源姓足利氏との確執等から、常陸で志田三郎先生義広が蜂起するとこれに加わるも野木宮合戦で敗北。 その後は上野国山上郷龍奥を経て西海に落ち延びるが消息不明となる(平氏に加わったとも、逆に源義経の平氏追討軍に加わったとも言われている) しかし鑁阿寺などに伝わる伝承では、足利に戻り源姓足利氏の足利義兼に匿われていたが、義兼妻の北条時子(北条政子の妹)との不義密通の疑いを掛けられ、皆沢に身を隠し自刃したとも義兼に討たれたとも伝わる。 後に事実無根と判明、忠綱の武勇を称え、また無念を鎮めるため当地に八幡宮として祀られた。 【忠綱公の最後に纏わる当地の禁忌】 足利氏館(鑁阿寺)から脱出した忠綱公は、追手を振り切り山中に入るも傷付き雪が血で真っ赤染まったため、この山を「赤雪山」と呼ぶようになった。 さらに山中に分け入り飛駒皆沢の郷についた忠綱公は、現在の八幡宮の所にあった大木の下に身を潜めて休むも、敵軍の率いてきた一頭の白犬に嗅ぎ付けられてしまい、遂に山鳥の羽の矢で射たれてしまう。 そのため皆沢郷では、白犬を飼うことと山鳥の羽毛を携えることを忌むようになった。 ときどき悪戯な子供などがこの禁を破ることがあるとたちまち災厄が起こったという。