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南光寺(笠懸不動尊)ではいただけません
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南光寺(笠懸不動尊)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年07月06日(月)
参拝:2020年6月吉日
関東88カ所霊場巡り 第7番札所 南光寺
高野山真言宗 ご本尊大日如来
北関東三十六不動尊霊場第8番札所
鎌倉時代、僧・行基作の白衣観音を本尊として開創されたと伝えられている。建武年間(1334~38)頃、当寺に入山した南光比丘尼は、後醍醐天皇の第三皇子で後に征夷大将軍となった大塔宮護良親王の側室で南の御方といわれた。護良親王は建武2年(1335)7月22日、鎌倉薬師谷に幽閉中、刺客により非業の最期を遂げている。その菩提を弔う為の入山であった。南光比丘尼はその生涯を捧げ、弘和2年(1382)に入寂された。その後、慶長年間(1596~1615)、僧・永真により中興され、慶安2年(1649)、第4世、僧・良榮の時、徳川第三代将軍、家光公より御朱印地二十一石四斗を賜り、高野山龍光院中本寺の格式を得て、現在地に伽藍を整えた。
(関東88カ所霊場HPより)
高野山真言宗 ご本尊大日如来
北関東三十六不動尊霊場第8番札所
鎌倉時代、僧・行基作の白衣観音を本尊として開創されたと伝えられている。建武年間(1334~38)頃、当寺に入山した南光比丘尼は、後醍醐天皇の第三皇子で後に征夷大将軍となった大塔宮護良親王の側室で南の御方といわれた。護良親王は建武2年(1335)7月22日、鎌倉薬師谷に幽閉中、刺客により非業の最期を遂げている。その菩提を弔う為の入山であった。南光比丘尼はその生涯を捧げ、弘和2年(1382)に入寂された。その後、慶長年間(1596~1615)、僧・永真により中興され、慶安2年(1649)、第4世、僧・良榮の時、徳川第三代将軍、家光公より御朱印地二十一石四斗を賜り、高野山龍光院中本寺の格式を得て、現在地に伽藍を整えた。
(関東88カ所霊場HPより)
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