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永明寺ではいただけません
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永明寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年10月27日(日)
参拝:2019年10月吉日
瑠璃光山永明寺は、応永年間(1394~1428)仏印大光禅師が、新田山城の鬼門除けの地である用明砦と呼ばれた要害のこの地に薬師如来を守護仏として祀り開創された。
その後法子なく一時荒廃したが、2世景後代に再興した。しかし天正の兵火で伽藍を焼失、正徳年間(1711~1716)に致り四世梅吟代に復興、更に享保13年(1728年)5世活道代に至り、東禅寺10世陰涼和尚の分法を得て寺運大いに興隆した。幕末慶応2年(1866年)再び祝融の災火で伽藍を焼失、明治7年仮堂を営み東禅寺より木彫り薬師如来座像を本尊仏として遷仏している。
現在の単層寄棟銅板茸入母屋造の本堂は、昭和58年に再建されたものである。
境内には本堂、庫裡のほか吹抜けの地蔵堂、稲荷社等があり、地蔵堂内に祀られている石仏の「廻国延命地蔵尊」は、地元の篤信者の一人が諸国廻国巡りの後、満願祈念に造立し、参詣の善男善女の延命長寿、無病息災を願い寺に寄進したものである。
寺の行事としては以前「天道念仏」があった。これは大日如来の例祭として弘化2年(1845年)から伝わるもので、旧3月14日~15日にかけ一昼夜寺にお籠もりして翌日の大般若会に臨むものである。昭和25年頃まで継承されていたが今は一時中断となっている。
庫裏は新しいのですが、不在のようです。
その後法子なく一時荒廃したが、2世景後代に再興した。しかし天正の兵火で伽藍を焼失、正徳年間(1711~1716)に致り四世梅吟代に復興、更に享保13年(1728年)5世活道代に至り、東禅寺10世陰涼和尚の分法を得て寺運大いに興隆した。幕末慶応2年(1866年)再び祝融の災火で伽藍を焼失、明治7年仮堂を営み東禅寺より木彫り薬師如来座像を本尊仏として遷仏している。
現在の単層寄棟銅板茸入母屋造の本堂は、昭和58年に再建されたものである。
境内には本堂、庫裡のほか吹抜けの地蔵堂、稲荷社等があり、地蔵堂内に祀られている石仏の「廻国延命地蔵尊」は、地元の篤信者の一人が諸国廻国巡りの後、満願祈念に造立し、参詣の善男善女の延命長寿、無病息災を願い寺に寄進したものである。
寺の行事としては以前「天道念仏」があった。これは大日如来の例祭として弘化2年(1845年)から伝わるもので、旧3月14日~15日にかけ一昼夜寺にお籠もりして翌日の大般若会に臨むものである。昭和25年頃まで継承されていたが今は一時中断となっている。
庫裏は新しいのですが、不在のようです。
すてき
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群馬県在住です。
桐生のお寺散策マップ54カ寺回りきりました。桐生市仏教会のホームページで寺歴が確認できるのでより詳しく知ることができました。桐生市仏教会に感謝いたします。
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