せんじゅじ|臨済宗妙心寺派|慈雲山
千手寺の編集履歴
ふりがな
せんじゅじ
ご由緒
(桐生仏教会HPより)
当山本尊千手観世音菩薩は開帳仏にて例年1月17日が御縁日に依り当日開帳し子年生の人の御守仏として信仰を集めています。
まだ境内には市指定重要文化財に指定された七面庚申塔。
皆々様の御参詣をおまち申し上げて居ります。本塔は天文17年(1548年)造立で有ります。
伝承 最明寺之禅門、寛元之頃知明之草庵へ千手観音一体被送之。則運慶之正作也。小倉郷長峰という処に建立小堂ヲ而尊崇之。後東小倉千手寺之本尊に安置する是也。
この伝承をみるに「最明寺之禅門寛元之頃」といえば北条寺領を指している。時の執権時頼がなぜ智明坊の草庵へ観音像を送ったのかわからない。
ただこの辺が、今の崇禅寺からみると東約一町程にあたるとすれば、はじめ智明坊が草庵をかまえた地に多少の縁故がありはしないかという気がするが、崇禅寺の旧跡は実はもっと南にあったというからよくわからない。
いずれにしても薗田氏にもせよ園田氏にもせよ、智明坊の出身の一族だから無縁では決してない。けれども現在の千手観音像がこの伝承の通りであると主張するには根拠はうすい。何故とならば、此の文の通りだとすれば運慶の作か、そうでなくても鎌倉中期以前の本尊でなくてはならないが、この観音菩薩像は戦国末期か慶長前後の作風を伝えているもののようである。
したがって伝説はともかくとして、現在の本尊が安置され一ケ寺の形をとったのは、戦国末期か慶長前後であったと推測ができるのである。しかも寺自体でも寛永開基をとなえて居り、口碑でも薗田成綱説があるのであるから、此の寺が千手寺として発足したのは戦国末期から寛永の頃であったとするのが事実に近いであろう。
URL
http://www.kiributsu.jp/hp/kawauchi/senjyuji/senjyuji.html
駐車場
本堂前に乗り付け
山号
慈雲山
創立
不詳
創始者/開山・開基
不詳(伝・智明坊)
行事
1月17日・8月17日 御開帳
文化財
千手寺石幢(桐生市指定重要文化財)