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2024年02月12日(月) 05時54分 byくし
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桐生西宮神社の由緒 桐生西宮神社ができたのは明治34年(1901年)のことです。兵庫県西宮市の西宮神社本社が祀っているえびす様の霊を分けていただきました。西宮神宮本社から霊を分けていただいた神社、いわば本社直系の西宮神社は関東では桐生西宮神社だけです。これを「関東一社」といい、私たちの誇りです。 では何故、桐生がえびす様の霊を分けていただけたのでしょう? それを知るには桐生の歴史をさかのぼらねばなりません。 桐生は織物で栄えた町です。関ヶ原の戦いの際、急に必要になった徳川家康軍の軍旗を短時間で整え、織都桐生の名を一躍高めました。これを機に勢いを強めた桐生には全国各地から技術を持った人たちが寄ってきました。桐生は自分の力を十分に発揮でき、がんばれば成功が手にできる夢の土地だったのです。桐生が育んだそれまでの技術に、こうした人たちが持ってきた新技術が付け加わり、桐生はさらに発展しました。今の言葉で言えば、経済の好循環が成り立っていたのです。 一方で困った問題も起きました。様々な土地で育った人たちは、生まれ育った土地固有の生活習慣、文化、ものの考え方などを持ち込みます。異文化が混ざり合う。いい面がある一方で、ややもすると町がバラバラになり、まとまらなくなるのです。 そこで、当時の旦那衆は考えました。町を一つにまとめるため、福の神信仰、えびす様信仰を推し進めようではないか、と。これが図に当たりました。江戸時代末期には、桐生から西宮神社本社へはるばる旅をして参拝する人が増えます。西宮神社本社には、明治2年からあとの、桐生からの参拝者名簿が残っています。 そんな折も折、明治31年(1988年)、町の中心部である本町三丁目で63戸を全焼する大火事がありました。損害額は膨大だったと思われます。でも、私たちのご先祖はこの災難にもめげませんでした。打ちひしがれるどころか、むしろ、「災いを転じて福となす」の気運が高まったのです。桐生で長く信仰を集めてきた西宮神社、えびす様を桐生にお迎えしようではないかとみんなが言い始めるのです。今こそ、福の神を桐生にお迎えする時だ、と。 求めよ、さらば与えられん、という聖書の言葉は、世界中で通用する真実なのでしょう。熱心な桐生の願いに、西宮本社もこれを認めてくれました。「関東一社」ができたのです。 えびす様の霊をお分けいただく費用は、当時のお金で30円、それを認めていただくお金が50円など、えびす様をお招きする総費用は479円かかりました。もちろん、それだけで桐生西宮神社ができるわけはなく、279円をかけてお移りいただくお祭りを催し、2269円をかけて社殿を造りました。こうした費用は誰にも頼らず、すべてを町の人たちの寄付金でまかないました。私たちの先祖の独立自尊の心意気は、いま桐生に生きる私たちが胸の奥底に刻まねばなりません。 だからでしょうか、桐生西宮神社のえびす講は、私たちの暮らしになくてはならないものになっています。 「足袋と炬燵の使用はえびす講から」 は、私たちの暮らしそのものです。 また、一昔前までは、えびす講の日は町中の機屋さんで夜なべ仕事はしなくていい日で、普段は粗食だった働いている人たちに、この日は豪華なえびす講料理が振る舞われ、小遣いも支給されました。 私たちには桐生の歴史が刻み込まれています。桐生西宮神社、桐生えびす講も、今につながる桐生の歴史なのです。 (神社HPより)
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《主》蛭子大神
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https://kiryu-ebisu.jp/
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創建年代は明治と比較的新しいが「関東一社・西宮本社の直系分社」として恵比寿講は大変な賑わいを見せる。 しかし美和神社の境内社という扱いのため普段は無人社。
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なし
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明治34年(1901年)
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桐生の旦那衆
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11月 恵比寿講