いしがもてんまんぐう
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石鴨天満宮の編集履歴
2023年04月30日 00時49分
緯度
36.5267696
編集前:36.4373869
経度
139.4329035
編集前:139.3585507
名前
石鴨天満宮
編集前:天満宮
ふりがな
いしがもてんまんぐう
ご由緒
太田金山城主 由良成繁の重臣 藤生紀伊守善久は、諸国遊歴の際、京都北野天満宮から神像を受けて自己の守り本尊としていた。
天正十八年(1590)小田原落城後、北条方の人質となっていた由良氏は一時没落するも、関東入府した徳川家康に謁見し常陸国牛久に領地を賜り桐生を退去。藤生善久は同行せず桐生郷へ土着。
後に善久の弟、藤生六右衛門が桐生川上流の石鴨に落着し、神像を当地に祀って藤生家の氏神とした。
なお当地に伝わる伝承によると、ある年大雨で桐生川が氾濫し社殿が流されてしまい、村人達が探したところ現在の梅田町一丁目「梅原地区」で発見。 その地にも天満宮を分霊し「梅原天神」として祀り、これが後に桐生新町・赤城明神の森へ遷されたものが現在の桐生天満宮と伝わる。
このためこの地では、石鴨天満宮を「本家の天神様」、桐生天満宮を「分家の天神様」と呼ぶ。
ただし桐生天満宮側にはそういった伝承はない。
見所
御朱印の存在は未確認ですが、授与品としておみくじ付きのお箸と絵馬があります
駐車場
鳥居より少し北に駐車スペース
3台程度
トイレ
駐車場に公衆トイレがあるが荒れている
創立
不詳 1590年(天正18年)以降
創始者/開山・開基
藤生紀伊守善久 藤生六右衛門
行事
4月25日 例大祭
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