曹洞宗大用山
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戦国時代の終盤頃である天正元年に倉賀野城主・金井淡路守秀景が木雲宋流を招き創建。この時、同市下佐野町の光雲寺も秀景によって創建されており、そのためか両寺とも山号が大用山である。永泉寺の墓地には、秀景も眠っています。
1573年(天正元年)
木雲宋流
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